やっとリュウ春の謎が解けた!!
リュウ春好きさんのみなさま、いつも異端な拙サイト・ブログにわざわざお越しいただきまして、まことにありがとうございます。
ゼネストを見てスイッチが入って丸一年。
前回アップしました小説を書いてようやく25年間続いた筆者の謎を解くことができました。
「隆×春がいいな~」を超えて「このふたりはくっつかなければならない!」という思いは、初代スーファミ版「ストⅡ」の説明書を見て稲妻のごとく衝撃を受けたのがそもそものきっかけだったのです。
公式では何ら接点がないふたりだったので、隆春の図は幻想・妄想の域を出ることはありません。これが長年筆者を思い煩わせてきました。
それが25年たってゼネストではこのふたりが主人公&ヒロインとしてタッグを組んでベガ様のもとへ挑み、リュウさんはベガ様に勝利してシャドルー壊滅の成功するストーリーとして開示されました。
この展開を25年間待ちわびてきました。
それがきっかけでHPを開設してしまい、小説やら暗号解読やら書いてまいりました。
拙サイトがふつうの二次元ファンサイトではないことは、皆様ご承知の通りです。
でも、直観とはいえなんでそんな思い込み? を通り越して偏執狂的にとりつかれてしまったのか?
これを長い間筆者を悩ませてきました。
ほかのリュウ春好きさんのご存在が筆者を支えてくださいました。本当に救われています。
リュウ春は少数派なのは仕方ありません。なぜなら公式では長い間接点がなかったうえ、リュウさんはますます孤高な求道者になっていき、女性を近づけないキャラに固定されてしまったからです。
「リュウと春麗? ありえない~」というのが大多数の印象でしょう。
だからこそ、なんで筆者が25年間も、はっきり言ってゲームキャラの関係などどうでもいい事柄について思案せねばならなかったのか。
ゼネストを見て一周年に書いた「上海より愛をこめて」という題名の小説。
これを書き終えてみて、すべての謎が解けてしまいました。
やっと、やっとこの時空間を迎えることが許されました。
その謎を書いてまいります。(開示させていただきます)
ご一読いただける方がおられましたら、うれしいです。(≧▽≦)/
ゼネストを見て一周年小説を書きました。
これまで小説らしき文章を書いてきたけれど、書こうとしても書けないものだとつくづく思う。
どんな分野でもいえることであるが、媒体に徹するというスタンスがいちばんすんなりいく。
筆者はどんな場合でも、自分が「する」のではなく「させていただきます。そのために必要なサポートをお願いします」と意図する。
創作はある意味ダウンロード作業なのだと思う。
いつでもヒントは目に見えない雨のごとく降り注いでいるけれど、自分が立てたアンテナに情報層の周波数を同調させることができればひらめきとしてつかまえることができるのだと思う。
その周波数は人それぞれだから、様々な作品が生まれるおもしろさがある。
筆者は作品を書いているうちにどんどん変化していくのが面白いと思う。
それは登場人物が「こう書いてください」と意志を持っているように動き出していくから。
筆者が「本当にその表現でいいのかな? キャラが別人格になりはしないかな?」
はたまた「この表現は年齢制限が必要ではないだろうか? 全年齢対象にすべきだろうか?」
と客観的に俯瞰してみるけれど、表現をセーブして万人受けする作品に仕立てようとすれば、キャラの個性と生命力が失われていくのを感じてしまう。借りてきた猫のように。
なぜそう感じるのか。万人受けする作品というのはどういう作品をいうのか?
万人が知っている記号化されたキャラの外面を書くことだと思う。
それはそれでいいと思う。
しかし筆者はそれでは物足りないからキャラの内面を書きたくて書いている。
そしてキャラが「自分はこうだ!」と主張しているような切り口で書く。
本当は二次創作ではなくオリジナルを書けばいいのかもしれない。
版権ものは人物が記号化されていて人物の相関関係が共通認識されているから、詳細を省く便利さは確かにある。
与えられた構図の中でキャラを生きた人間としてどう動いていくのかを観察して書こうとするのが筆者の狙い。
妄想でもいい。幻想でもいい。全体的に調和していれば必ず作品として成り立つと思うから。
意図して媒体に徹するスタンスで書いていると、ヒントが示される。
それをキャッチして言葉を紡いでいく作業の連続。
気が付けば文字数は18000字近くまで増えていた。
忙しい読者さまには、もっと気軽に読めて短い文章であるほうが好まれるかもしれない。
大きすぎるケーキはいっぺんに食べるのは大変だから、切って食べる。
小説もそうすれば食傷気味にならずに済むかもしれない。
消化不良も起こさなくていい。
いつのまにかそんな思いが反映されていて5部構成になっていた。
そして一人称視点で男女それぞれを書き分けることにより、読み分けて脳内で混ぜ合わせることができたら、味わい方も違ってくるかもしれない。
今回の小説はゼネストを見てスイッチが入ってから、約一年。ぐるっと一周して、様々な視点で読み解いてみてやっと書くことが許された作品だと思う。
小説は生きている。だから今を書く。去年の今では書けない。来年の今でも書けない。
写真のようなものなのかもしれない。
HPに掲載しています。ご一読いただきました方には深く感謝申し上げます。
リュウさんはみにくいアヒルの子だった!?
女は男を減算方式で見るという。
つまり、好きになった時点で運命の人!と思い込む。
付き合えた時点で100点を与えるが、
だんだん相手を知るにつれて減点していくという。
しかしリュウさんは最初っから職も家も財もなく、
殺意の波動を発動してしまうというメンヘラ体質。
あるのは餓死寸前であろうがボスキャラにボコられようが生命力で乗り切る強さだけ。
ライバルのケンはリア充の極致にいて、その対極に位置するリュウさんは主人公にしてはあまりにも悲惨な設定。
そんな男に彼女ができるはずがない。だから同性からも妬まれない。
こんなに恵まれない主人公だというのに、やたら支持されているのは、優越感を与えるキャラだから。
人間というものは、自分よりも哀れに思う存在に対して優越感を抱く性質がある。
でも気を付けて。優越感を抱いた時点で負けてるの。
無意識レベルで相手に取り込まれているから。すでに相手の引力に引き込まれている。
だからリュウさんの引力はすさまじいの。
反対に、自分よりも優れた存在に対して抱く感情は、劣等感とそれに付随する嫉妬心。
劣等感と嫉妬心は引力の反対。反発のエネルギーだから。
でも、劣等感と嫉妬心を抱くということは、自分から白旗を上げているのと同じなの。
優越感と劣等感。
二元性というのは、かくも人間を矮小化してしまう小さなものさしなのである。
女は男を減算方式で見るという。
つまり、好きになった時点で運命の人!と思い込む。
付き合えた時点で100点を与えるが、
だんだん相手を知るにつれて減点していくという。
自分を採点の対象外に置きながら、男を無意識に点数化してしまう女というものは、かくも悲しき傲慢な生き物なのである。
なのに、リュウさんはベガ様を倒しちゃったものだから、女たちのリュウさんを見る目が180度変わってしまったはず。
女は減算方式で男を見るというけれど、すでにリュウさんはもともと0点。
だから彼の場合、加算方式で女の見る目をどんどん変えていく男なのである。
では男はリュウさんをどう見るか?
これまで優越感を与えてくれる悲惨なキャラだったのに、ベガ様を倒して世界一の強者となってしまった。おまけにメンヘラ体質も改善してしまった。
まるで、みにくいアヒルの子。
優越感から一気に反転したとはいえ、劣等感と嫉妬心を抱くレベルを超越してしまったがために、彼を見る目は羨望へと変貌する。
これほど明確な逆転劇を現象化した主人公は他にいない。
だからこそ偉大なキャラなのであろう。
偉大な不世出の格闘家をどう書くのか。
リュウさんを書くことは難しいけれど、そこがおもしろい。
創作という自由。表現の自由を与えられていることに今さらながら、感謝。
拙ない筆者の作品を読んでくださる方がおられることにも感謝なのであります。
今取り組んでいる小説を書いている合間にこの記事を書きました。
夏休みの宿題も、これくらい面白く取り組めたらいいのにと思った今日この頃。
リュウと春麗の小説たち2017 ストリートファイター - ストリートファイター リュウと春麗の小説たち
答えはすべてに開示されていた。
皆さま、お盆はいかがお過ごしでしょうか。
楽しんでおられますか?
よろこんでおられますか?
筆者は一日一日、瞬間瞬間を感謝の連続で心の底からよろこんでいます。
このブログはリュウさんと春麗さんに特化していますのでそのことについて。
今現在、小説を書いています。
数日前からものすごい気づきとシンクロが続いています。
小説もHPもアップしたいのですが、どこから手を付けてよいのやらという状態です。
筆者は物事を一挙に認識するくせがありまして、順序立てて理路整然と文章にすることが苦手なのです。
筆者の中で、いよいよ情報がこの時空間に明かされた。という段階にあります。意味が分からいことを書いていますね。
一日一日がとても大切だというのに、パソコン前に座って言語化する作業がなかなかはかどりません。
この夏までには・・・筆者が初めてゼネストを見た2016年8月26日、すなわち、『君の名は。』の封切り日からちょうど一年が経とうとしていますが、この一年ですべてがつながっていたことに気付いたのです。
うまくお伝えできるかどうか・・・。
本当はとてもシンプルなのですけど。
ではみなさま、この夏をしっかりと楽しんでいただきたいと思います。筆者もこのことを夏が終わるまでには書ききれたらと思っています。
リュウと春麗の小説たち2017 ストリートファイター - ストリートファイター リュウと春麗の小説たち
「恋人つなぎ」を考察してみた。
「恋人つなぎ」というワードが世間をにぎわせている。
男女の指と指を絡ませ密接に膠着させて一体化し、外界と切り離された二人だけの世界を醸し出しているさまは、恋人以上の関係でしかなしえない説得力がある。
友人、兄弟であの指のからませ方は、ほぼありえない。親子でさえも。
通常の手のつなぎ方をここにおいては「友人つなぎ」と称することにする。
筆者が思うに、恋人つなぎは「氣」の通り方がダイレクトなのだと思う。
恋人つなぎで真っ先に思い浮かんだのは「脳梁」。右脳と左脳をつなぐ橋の役割をしている。
手は「氣」を発する最大のツールである。
だれにも氣を発しているのであるが、気功師や治療家など人を癒す者の手のひらから発するエネルギーはテラヘルツの周波数を帯びていることにより、病気を改善することができる。
「手当て」というのはあるが「足あて」はない。それくらい手は氣を発する器官といえよう。
指先は氣をビームのごとくピンポイントで発するパーツである。要するに触角。
男と女の指は触角を絡ませているのである。そのさまはエロティシズムを掻き立てられるのに難くない。
男女の10本の触角を交互に編み、一本の太い繊維束となる。これが脳梁。
恋人つなぎは男(左脳)と女(右脳)の指(触角)を絡ませることにより、太い一本の脳梁を形成する。ゆえに、お互いの思考(左脳)と感情(右脳)をより一層深く交流させることができる。
特筆すべきは、恋人つなぎは「一線を越えなければ」成しえないということ。
一線を越える前までは、友人つなぎどまりであるが、一線を越えたら恋人つなぎへと変貌を遂げる。
男女で友人つなぎをしても、引っ張れば手は離れやすい。
しかし恋人つなぎは引っ張れどもそうやすやすとは離れない。
これは「一線を越えたかどうか」と密接な関係があることは想像に難くない。
しかし「一線」って何だ?
今をときめく「恋人つなぎ」。
なぜ「夫婦つなぎ」って言わないの?
「夫婦つなぎ」と聞けば老夫婦の手つなぎもその範疇に入るわけで。
それはそれで美しいのではあるが、「恋人つなぎ」にはお互い好きで好きで仕方ない感があふれているのが特徴といえるのである。
「恋人つなぎ」
いいねえ。実にいい。言葉を必要とせずに恋人関係を証明させることのできる鉄板ワード。これを小説に取り入れてみた。
もうひとつ気になるワード「黄金律」。
意味は「 他人から自分にしてもらいたいと思うような行為を人に対してせよ」という教え。
「黄金比」と「黄金律」は似て異なるが、実は宇宙に通用する同じ真理が隠されている。
それは普遍的であること。
これも小説に入れてみよう。
「恋人つなぎ」と「黄金律」を連結すればあら大変。
この先どうなることやら。
23年前のストⅡムービーを回顧してみた。
そういえばちょうど23年前の今頃にストⅡムービーを観たな~と思い、調べてみた。
23年前の8月6日公開。
あの映画、ものすごくヒットして収入7億円だって!このうち3億円は春麗さんのシャワー効果だね~。高校生だった筆者は小2の弟を連れて行ったので目のやり場とリアクションに困ったこと困ったこと。
ストーリーは筆者的にはガッカリ感が満載だったって、以前もブログに書いたことがあったような。
この映画はリュウ拳押しだったからね~。
ムービーでリュウさんと春麗さんの接点なし! という構図がリュウ春派の肩身を狭くしていったのかもしれないね。
(今はゼネスト効果で日の目を浴びましたけれどね! もっと声をあげねば!!)
おまけに春麗ガイル仲良しエンドでしょ? あれから春麗さんはシリーズを通してガイル少佐と毎回コンビを組んでいったのよね。
実はガイル少佐、愛妻家だと思うんだけどな~。ゼネスト続編があるならば、そういうシーンをちらっと見せてもらいたいね。なごむよ~。
なんといっても、リュウ拳vsベガ様(2対1)という構図がすでに敗北感に満たされてしまって、リュウさんにカッコいいと思えなかった自分が悲しすぎた。
まあ、ストⅡ時代があり、その後Ⅳ、Ⅴと続くなんて当時は知る由もなかったから、リュウさんがベガ様をひとりで倒して完結という筋書きはあえて伏せておいたのかもしれないね。
長~~~~い伏線だったというわけだね。
追記:スト4関連記事
ストⅣは秀作ムービーだった! - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
スト5関連
ゼネストはデジャブだったのよ~。 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
ゼネストは隆春で正解だよ^^ - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
スト3関連
そろそろ映画化しませんか? - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
Ⅲはアニメ映画化で大当たりだよ! - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
ふいに思い出してしまったストⅡムービー、よろしかったらご覧ください。
(さんざん書きましたけど)(^^;) 当時を懐かしんでみられてはいかがでしょうか?
Street Fighter 2 The Animated Movie ( Audio Original Japonês Legendado )
しかしこの作品、歌は完璧に素晴らしかった。
この曲は若さがあふれててイイ!! ゼロ時代にピッタリなのが素晴らしい。
「まだ見ぬ人~」というのは春麗さんを想起させられます。そこが唯一の救い。
篠原涼子 GOOD LUCK
https://youtu.be/IeSIuaSe4gg?t=1h36m25s
ゼネストはスト2ムービーの23年後に生み出されたわけだけど、ムービーをはるかに凌駕していますね。映像技術も脚本もキャストもすべてにおいて。
あたしゃ、こういうリュウさんが見たかったんだ!って、23年前の自分は間違いなく思っていたはず。
「リュウ⇒春麗」は完成の構図。
自分の中で「リュウ⇒春麗」の構図ができてしまってからというもの、
男は突き進む性質だから、即座に「リュウ春」ができあがってしまうということに、やっと気づいた。
逆説的にいうと、あまりにもすぐにくっついてしまうふたりなので、くっつけないようにされてきたということ。
まるで、ネオジム磁石のごとく一度くっついたら離れないから、近づけさえしなかったのだ。
そんなこともわからずに、今までやきもきしていた筆者は、ホンマ、あほ!!!
春麗さんはリュウさんのことが好きであろうことはなんとなく感じられてきたけれど、
悲しいことに、リュウさんは春麗さんを全然見ていなかった。自分しか見ていない。
自分しか見ていないけれども本質が見えていない。それで堂々巡りの25年間。
自分しか見ていなかったのは、リュウさんは自分のために強くなろうとしてきたから。
それがゼネストでは、仲間たちと戦うことを通じて「自分に何ができるのか」を真剣に考えるようになった。
つまり、リュウさんは自利から利他へ変換したわけです。
そして、やっとこどっこい春麗さんとくっつくことができました。
で、やっと殺意の波動を克服できた。なおかつベガ様倒せた。
さらには春麗さんとリーフェンちゃんを守れた。誰かのために戦い守ることができた。
25年分の苦労を一気に回収したかんじ。
つまりは無敵になってしまった。
この流れを童話風に表現すると・・・。
殺意の波動から目覚め、本来の姿に戻った王子さまは、見事に魔物を倒し、無事お姫様を救い出すことができました。
そして、王子さまはお姫様をお妃に迎え、ふたりはいつまでも仲良く暮らしましたとさ。めでたしめでたし。
なんだけど。
ともかく、このシチュエーションまで春麗さん、よくぞリュウさんを待ち続けたもんだと思うよ。
春麗さんにとって、リュウさんはド・ストライクな男だったのだろうね。めんどくさい男が好きなんだね~。
でも結局は、リュウさんは春麗パパを超えちゃったんだから、春麗さんお目が高い~。
そんな春麗さん、典型的なA型タイプらしく、自分から告白するタイプじゃない。
それに、ベガ様を捕まえるまでは女の幸せは二の次とか思ってそうな感じ。
春麗さんって、硬派な女性だったのか~。今気づいちゃった。
奥手なふたりがなかなか至近距離に近づけなくて、近づいたと思ったら邪魔されちゃって、すれ違ってというじらし効果はあらゆる媒体で使われる王道的手法。
でももう、25年間待ったから迷わずレッツゴー!(どこへ?)
未成年でもあるまいし、どこへでも行ってしまいなさいっ!! m9っ`Д´) ビシッ!!
・・・そんなことで、また小説書きたくなってしまいました。
隠し小説書いた時点で、これで書き納めかなあと思っていたのに。
リュウさんをかっこよく書いてあげたい。ベガ様を倒した後なんだから、それくらい許されるよね?
25年間待ちくたびれたので、筆者の隆春はネオジム磁石仕様です。<(_ _)>
これから書くから、待っててね!
リュウと春麗の小説たち2017 ストリートファイター - ストリートファイター リュウと春麗の小説たち