リュウさんは恋なんてしないのだ!
リュウさんは、恋するタイプじゃない。
恋されることはあったとしても。
リュウさんは恋されたとしても、振り向くタイプじゃない。
彼は恋に鈍感なのではなく、そもそも恋という概念がないから。
人が恋するとどうなるか?
自分を捧げ、恋した相手を崇めてしまう。
主体が自分ではなく、相手が主体になってしまう。
恋に身をやつし、盲目になり、落ちて、燃え上がり、そして身を焦がす。
恋すなわち、熱病のごとし。
冷めたら「あのときの自分は自分じゃなかった」と振り返るのが通常。
恋すると周りが見えなくなり、自分を見失い、自己を転落させ、燃え尽きる。
それは自己愛無きゆえに起きる現象。
自己愛強き者は、恋などしない。
なぜなら自己愛強き者は、エネルギーが満ち足りているから。
ゆえに愛してほしい、振り向いてほしい、奪いたい、という概念がないのである。
自己愛強き者は、自分を大切にする。ゆえに、他者をも大切にする。
自己愛強き者は、自分を尊重する。ゆえに他者をも尊重する。
自己愛強き者は、だれかの意見やマスコミの言いなりにはなることはない。
なぜなら自分の感性や頭や肚で考えるから。
自己愛は想念の起点軸。
エネルギーを集める渦の中心点。ゆえに自己中心的となる。
自己中心的とは、傍若無人の暴君とは違う。他者をも認める受容性があるから。
自己愛強き者は応援のエネルギーを集めることができる。
それは、他者からエネルギーを奪う恋とは全く反対の原理。
嫉妬、批判、ジャッジ、被害者意識は、自己愛無きゆえに起きる自我意識。
「奪う」意識が根底にある。
駆け引き、出し抜き、蹴落とし、滅ぼすのは恋。
恋に落ちたがゆえに現象化されるのが、浮気や不倫という「奪う」行為。
恋の正体は妬嫉心。
なぜなら、自分に愛がないから。相手からエネルギーを奪おうとするのが恋の実態。
恋と愛はかくも別物なのである。
しかし世間は自己愛強き者を認めない。
ナルシストと意味をはき違えて叩いている。
自己愛強き者を認めれば、世間の常識にあてはめることができなくなるから。
自己愛強き者は、世間体、概念、常識よりも、自分の思いを大切にする。
自分の魂の求めること、大好きなこと、興味の尽きないこと、得意なことをとことん追求することが自己愛の為せる業であり、魂の役割。
それをとことん肉体次元で実践するために生まれてきた。それは社会貢献に直結する。
リュウさんがここまで偉大な存在になりえたのは、自己愛の塊であったから。自己愛の塊であるがゆえに、格ゲー界の中心の渦となり日本人の代名詞となりえた。
彼は恋などしないのである。
しかし、彼には愛がある。
なぜなら、自己愛の塊だから。
「いい試合だったな。また俺と戦ってくれ」
このセリフには愛がある。
謙虚に相手を認め、尊重し、敬意を素直に表しているから。愛があるから言える言葉。
彼は寝ても覚めても真の強さとは何かを追究し続ける魂の持ち主。
彼には財や名誉、ハニートラップさえ引っかからないほどの強き思いがある。
彼の魂が求めるのはそんなちゃっちいものと同等ではないから。
そんな彼が、完成へと近づくために何が必要なのかを探求すれば、
自分一人では為せないことに気づくはず。
その道のりを筆者の独断と偏見に基づいて書いています。
リュウさんを描写するにはあまりにも奥が深くて、その境地を自ら体現しなければ、書ききれないと思う今日この頃なのであります。
★おこがましくも、HPにアップさせていただいております。<(_ _)>