長編小説エピソード(裏)
前回の続きですよ。
萌え動画を隆春に脳内変換するのだ! - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
本当はですね。萌え要素をふんだんに取り入れて、キュンキュンしたい。
でもね、硬派で寡黙なリュウさんを文字にしようとするとね。
あの硬派で寡黙なリュウさんというキャラをいかに崩すかという挑戦になっちゃうの。
でも、リュウさんという記号化されたキャラをリアリティある人物として書くには、とてもイマジネーションが膨らむの。
2009年に書き始めた長編小説。あれ、実はすごいシンクロが現実に起こってたの。
リアリティを求めれば、リアル体験が与えられていたの。
もう時効だから、書くね。(一部ネタばらします)
2009年の夏。世界遺産の熊野本宮大社に参拝したときに、なぜか涙があふれて「リュウを主人公にして書きなさい」ってインスピがきた。
で、なぜか旅行へ行くたびに熊野詣に行きたくなって7回くらい行った。そのとき、豪鬼上人との因縁の決着の舞台は熊野本宮大社だと決めていた。
リュウさんにリアリティを持たせるには、剛拳師匠とリュウさんとケンとの修行時代を書かなきゃいけないと思った。
そのとき、闇稽古のシーンを書いたの。
真夜中に師匠にたたき起こされて、
真っ暗闇の中、目隠しをした師匠に、弟子が真剣で切り付けることを命じられる。
けれど、師匠は素手。弟子は真剣を真剣に振り回すのだけれど、目隠しした師匠の徒手空拳で弟子は倒されてしまう。というシーン。
あれはね、合気道開祖・植芝盛平翁の高弟だった塩田剛三先生の開祖との修行時代を記した著書を読んで、参考にしたの。というよりも、まんまそれを書いた。
塩田先生は「格闘技の神様」と呼ばれた方。
それがね、その本を読み終わったときに、なんとビックリ!!
塩田先生の後輩だったという人物(当時78歳)に出会ってしまったの。偶然にも。。。これ、実話ですよ。
その方(A先生)は、開祖と塩田先生とともに滝行をしたこともあったそうな。
A先生は筆者に「あんたが道場を開設して責任者になりなさい。これは大先生(開祖)の思し召しやから。あんたには指導者になってもらう」と言って、初日から袴を着用することを指示された。筆者は素人なのに。
3人から初めて、20人くらいになったころ、稽古中に「これで武道は終わり!」と開祖の声?がした。それをきっかけに、後任者を決めて道場を去ることにした。
事実は小説よりも奇なり。
いろいろな体験をさせていただいて、リアリティというものは、未知の世界をリアルに体験させていただいて、輪郭がなんとなくわかるように導かれるんだと思いました。
このような体験をさせていただくうちに、あの!超々あつかいにくい主人公リュウさんを実在性ある人物としてリアルに描くことが、面白くなってしまったのです。
生きるか死ぬかを現代で直に体験した方。
日本のスパイ養成学校・陸軍中野学校に招聘され格闘術を指導された方。
でも今は、生きるか死ぬかの世界ではもはやない。
生命の危機にさらされる次元はとっくに過ぎ去った。
今は今の生き方がある。
愛か自我か。その選択の連続。その結果が現象化されるだけ。
それは実在性あるリアリティ。
「実在性」とは、普遍的「愛」ですよ。
リアリティを追究したら、やっぱり男は女、女は男を引き寄せあうの。
それはプラスとマイナスの磁石のごとく自然現象。
最もエネルギーに満ちあふれた年頃の男女が紡ぐ物語は、いつだって美しく胸を打つ。
前回書いた、
「リュウさんが、命がけで春麗ちゃんを追いかけるところを見てみたい。」
後になって、長編小説でそのシーンを書いたことを思い出しましたよ。
一生に一度の大勝負として、リュウさんがとても情熱的に春麗ちゃんに告白するシーンを書きました。その姿は真摯に紳士でした。だって、あの!リュウさんですから。
長編を書いているときは、まさか、将来に(ゼネストで)リュウさんと春麗ちゃんが公式で、しかもあの映像美で握手するシーンが繰り広げられるなんて、思いもよりませんでした。
やっぱり、「思考は現実化する」んだわ!
だったら、もっと妄想しなくっちゃ!
握手の次は、何が現象化するか!?
この流れじゃあ、ひっつくしかないでしょ!?