リュウと春麗の萌え日記   (そま)

リュウと春麗の萌え日記

すべてはエロにはじまりエロに終わる その4

前回のつづきだよ。

 

すべてはエロにはじまり、エロに終わる。 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)

すべてはエロにはじまりエロに終わる その2 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)

すべてはエロにはじまりエロに終わる その3 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)

すべてはエロにはじまりエロに終わる その4 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)

すべてはエロにはじまりエロに終わる その5 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)

 

 

エロスについて続けて書くことになるとは、思いもよりませんでした。

だって、世間ではタブーとされているからです。

けれども、タブーとされていることの中に、本質が隠されているのです。

 

 

恋は奪うもの、愛は与えるもの。

 

若いうちは、どんどん恋したらいいと思います。恋して失恋して学んでいく。

ZEROとかⅡの時代ならば、恋でもいい。恋でもいいから二人の絡みが見たいわけで。

 

ZERO時代はストレスがなくていい。若いふたりが恋心を抱くだけでも萌えてしまえるから。なにしろ、パラレルワールドという位置づけが、創作の自由が許されている。

 

ところがⅡ時代となると、ふたりに接点がないという事態に陥ってしまう。

 

この時代のふたりは恋愛よりも、人生の目的にいちばんまっしぐらな時代。春麗ちゃんも23歳くらいで、まだ将来のことまで考えなくてもいい時期だった。

 

でもこの時期のふたりの関係って、接点がないものだから、ふたりを絡めようがない。

なんせ、リュウさんが春麗ちゃんのことを知らないっていう設定が悲しすぎる。

 

あえて春麗ちゃん⇒リュウさんの構図にしてもやきもきして不完全燃焼に陥ってしまう。そんな理由でⅡ時代の創作はスルーしてきました。

 

Ⅳ時代はケンがイライザさんと超イイ感じでラブラブなのに対し、リュウさんはひとりズタボロ・・・。この路線でいけばきっと豪鬼化して帰らぬ人になっちゃうだろうとさえ思っていました。

 

でも、Ⅴのゼネストはふたりの握手のシーンの演出も素晴らしく、最高レベルの出会い方だった。

 

それだけでなくラストに春麗さんとリーフェンちゃんを包み込んだリュウさんの波動拳の素晴らしさに、圧巻。とても感動させてもらえました。

 

あ・の!リュウさんが、あのような波動拳を放つだなんて・・・。こりゃあ、大変だ~!「愛だよ、愛!!」と脳内が騒ぎ出し、第一作目の小説を書いたのでした。

 

リュウさんは単なる朴念仁の唐変木の格闘バカではなかった。

彼は有言実行、剛毅朴訥で求道者たる風格を備えた超一流の格闘家だった。

これ以上カッコいい主人公はいない!!!

 

「ああ、カプコンさんは、このシーンをずっと温めてこられたんだなあ、リュウさんがベガ様を倒して、なおかつ春麗ちゃんを守ってあげるというシチュエーションを、25年間もの歳月をかけて最高の映像美で表現されたんだなあ・・・」

 

としみじみ感じていたんです。

 

さあ、これからが本題ですよ。

 

それから先の展開がどうなりますか。リュウさんと春麗ちゃんがせっかく出会い、ベガ様を倒し、素晴らしいシチュエーションで山場を切り抜けたのですから、「じゃあ、さよならっ」ってな軽い別れでまた平行線をたどるわけデスか?(ファン調で)

 

春麗ちゃんだって結婚を考えるお年頃だし、リュウさんだっていつまでも根無し草じゃねえ。

 

ちゃんとした二人を公式で位置づけてあげなきゃ、カッコいいはずのリュウさんがそうでなくなっちゃう。

 

まさか、あのシチュエーションで、春麗ちゃんが普通の女の子になってほかの男とつきあうってのはゼッタイありえないでしょ!?

 

だから公式パッケージでHOTなふたりをイラスト化されたのでしょうね。

カプコンさんの彼らに対する愛の証ではないでしょうか。

 

さて、ここでエロスについて戻ってみます。

 

HPでは、「暗号解読」を書いています。

 

これ、小説と表裏一体でして、創作するうえで重要な直観と不可視的情報エネルギーを読み取って、小説に表現するスタイルにしています。

 

暗号の解読はレベル1から筆者の周波数変換レベルに応じて段階的に上がってゆき、レベルが上がるにつれて、情報エネルギー量および、周波数レベルが上がっていきます。

 

自分でも何でこんなこと書いてるんだろう、と思うのですが、三次元で明確に示唆されてしまうので、書いています。

 

とんだ異端なサイトです。なじめない方はスルーでお願いします。

 

レベル9まで書いてみて、18禁小説を書かなければならない理由がやっとわかりました。

 

生命誕生は創造です。

 

国生み神話の神様が日本を生み出されたように、人間も創造する力が備わっている。

 

そのすばらしい力を、この三次元世界では人前で話すことはタブーとされてしまった。

これはアダムとイブは楽園では裸を恥じる価値観がなかったのに、蛇にそそのかされて禁断の果実を食べてから、恥ずかしいと思うようになったという逸話と同じ。

 

そして、現代は性の価値観は失墜し、結婚の破たんを招くエゴの拡大が人々を恋に狂わせ、愛することに背を向けてしまった。

 

愛は与えるもの。愛してほしいではなく、愛させていただくもの。

それは宇宙に偏在するしくみのひとつ「愛というサポートシステム」。

 

愛とはサポートさせていただく。ということ。

 

進化するうえで重要な学びの一つなのです。

 

この三次元で肉体を与えられているうちに学ぶことは「愛」です。人間は、家族という最も小さな集合体で無償の愛を学ぶために人間をやっているのです。

 

人間は家族をもって、愛を体験して学ぶ。エゴの惑星での基本中の基本の学び。

 

この惑星の指導者として転生してきた方は、独身で役割をされる場合がありますが、たいていの人間は、家族をもって愛を学ぶ場を与えられています。

 

小説を創作するうえで、愛をいかに表現するかをずっと考えてきました。

 

HPで創作した小説にはエゴの要素はありません。リュウさんと春麗ちゃんにはエゴがないんです。

 

ゼネストリュウさんはベガ様を「やっつける」のではなく、光で包み込みました。春麗ちゃんとリーフェンちゃんも光の波動拳で守ってあげました。これは「愛」です。

 

春麗ちゃんもまた、女性キャラのなかで唯一、母性愛を持たされていました。

 

そんなふたりを二次創作として書かせていただいています。

 

新作の小説をアップしました。18禁です。ⅠとⅡの二本立てです。

 

★こんな異端なサイトですが、愛ある皆様にご一読いただければ感謝です。

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