リュウと春麗の萌え日記   (そま)

リュウと春麗の萌え日記

すべてはエロにはじまりエロに終わる その5

前回のつづきだよ。

すべてはエロにはじまり、エロに終わる。 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)

すべてはエロにはじまりエロに終わる その2 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)

すべてはエロにはじまりエロに終わる その3 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)

すべてはエロにはじまりエロに終わる その4 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)

 

18金小説を書きなさいと直観を受け取りまして、数々のシンクロの波に乗り、天津神(あまつかみ)の住まう高天原にまで導かれたことはすでに書きました。

 

実は続きがあります。小説のネタバレになってしまうので書かなかったのですが。

 

「愛させていただくということはどういうことなのか」というテーマを受け取りまして小説に書いたのがHP掲載の18禁小説・続編でした。

 

高天原見学旅行(仮名)では、女性として生まれたからには生涯をともに生きると決めた男性に対して「愛し抜きなさい」と教えられたのです。

 

「愛し抜く」・・・何と美しい言葉・・・。そしてなんと重厚な言葉・・・。

 

肉体を持たされているうちは、そしてその肉体が女性として機能しているうちは、男性を愛し抜きなさいと。

 

そうすることにより、若返るのだと。

 

エロスの神はダイレクトに伝えてくださいました。<(_ _)>

 

自らを捧げる。自我を捨て去れば、何ら難しいことのないこと。けれど人は、いつの間にか与えることを惜しみ、受け取ることを当然と思うようになった。

 

愛を惜しまない。

 

 

そして男性にとっての「愛し抜く」とはどういうことだろうと考えた。

 

これは自分の考えではあるが、「守り抜く」ということなのかもしれない。守るものは多岐にわたる。守るものが多いほどエネルギーを必要とする。

 

そのエネルギーを与えるのが女性の役割であるのだろう。「愛し抜く」という方法で。

 

カタカムナか何かの本に、男性は宇宙から直接エネルギーを受け取ることができないから、女性を抱くことによって電子を受け取ってエネルギーをもらうのだと書いてあったのを思い出した。

 

「愛する」ということを映画や小説にすれば美しく胸を打つ。けれどそれを自分が実践できたら、人間でありながらマリア様になれると思う。観音様になれると思う。

 

愛はサポートさせていただくということ。

 

それは男女に限らず、誰に対しても応用できること。こうしてあげたいな、と思ったら、率直に実行することが愛だと言えるのだと思う。

 

お年寄りに席を譲ったり、落ち込んでいる人に「大丈夫だよ!ドンマイ!」って励ましてあげたり、見知らぬ小さな子が泣いていたら「どうしたの?」って声をかけてあげたり。

 

そういうことがごく自然にできることが愛なんだな~と思う。他人さまには比較的実践しやすいと思う。

 

けれども家族というのは離れられないが故の学びがある。

 

老いた親(義理の親)に対して惜しみない愛を与え続ける。だんだん当たり前のことができなくなっていく親をいたわる。自我を捨て去って介護する。それができたら、神になれると思う。

 

 

そのレベルにまだまだ達していないことを思い知るけれど、知らされたということは、実践すればそのレベルに至れるということ。

 

けれども、知らされたのに実践せずにいたら、きっと後悔すると思う。肉体を持たされているうちしか、実践できないのだから。

 

 

★あれこれ考えていたら、また書きたいことを思いついてしまった~!

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