パラレルとリアリティの融合の試み。
新たな小説(案)にかりんさんが浮かんできたということを前回のブログに書きました。
リュウ春ファンでよかった! - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
脳内に起承転結はすでにできているんです。
でも、やはり重大な問題が発覚してしまいました。
「萌えない」!! これではいけない。
ここを訪れてくださる方は、リュウ×春麗ファンの方だと思います。
やはり、大好きなキャラには、嬉し楽しワクワクドキドキモードを感じたいんですよ。もちろん筆者もです。
いままでストゼロを舞台にした小説を書かなかった理由は、
リアリティを求める筆者にはどうしてもゼロキャラを扱えなかったからです。
師匠の下で難行苦行を通してやっとの思いで体得した必殺技を自在に扱えるようになってはじめて、世界へ旅立った日本人格闘家の物語に、
見様見真似で格闘術をコピーできてしまった女子高生とか、あらゆる格闘術をマスターし(合計100段8級)超大金持ちで容姿端麗頭脳明晰な女子高生を、同じ土俵に上げるわけにはいかなかったのです。
ゼロキャラは、その世界観が別次元であることを設定された作品である以上、どうしてもストⅡキャラたちと同次元に扱うことはできなかったのです。
春麗さんもガイル少佐も、打倒ベガさまのために人生をかけてプロフェッショナルの道を歩いてきたキャラなのです。
上に上げた女子高生が世界を救っちゃったら、ベガ様はなんて言うだろね?
逆にいえば、パラレルワールドにリアリティを持ち込んだら重苦しくなるのです。
けれども、ゼネストでは見事にストⅡキャラとストⅤキャラの融合がなされていました。神月家の財力と権力がなければ、シャドルー壊滅作戦は実行できませんでした。
ゼネラルストーリーの要のかなめは、
「日本人が、日本の地で、闇を光に転じる」
ことに意義があるのです。
マスターズ家によるストーリーではまったく意味がないのです。
夜桜咲きほころぶ美しき日本の地で、リュウさんが春麗さんと握手したという素晴らしい演出には、実に深い意味が隠されていたのです。
(HP暗号解読参照:レベル7 - ストリートファイター リュウと春麗の小説たち)
かりんお嬢様がひらめいた小説の本当の意味は、ゼネストのパラレルとリアリティの融合を為した舞台での小説を書きたかったのです。
でもこの案はお蔵入りにしておきます。
もっとキュンキュンする小説の方がいいに決まってるんです。
でも、あんまり甘々にしちゃうと、硬派なリュウさんじゃなくなっちゃうからな~。
いつものループだ。
イメージとしては、硬く凍った氷が人肌に触れると、表面からなめらかに融解していくような、そんなふたりがいい。
人の心を溶かすのは、やっぱり人の心なんだと思います。
普遍的なことは盤石なんですね。
それを言語化しようとするけれど、普遍的なことはシンプルなんです。
普遍的とはシンプルなリアリティ。リアリティとは普遍的愛。シンプルとはすべてが愛ということ。
愛とは宇宙に遍満する生命であり、はじめもおわりもない普遍的真理。
リュウさんと春麗さんの物語を、いかに美しく表現するかという想像力を、三次元で創造することができるのは、人間に与えられた力。
「萌え」というのは、その普遍的愛を感じることを言うのだと思います。
「萌え」から発せられるエネルギーは 、愛に同調します。なぜならば、喜びだから。
喜びを感じて三次元に創造する。それが創作活動の本質なのかもしれない。
筆者も楽しんで喜びながら創作させていただこうと思っています。
どんな作品になるのかは、お楽しみ。
★HPも、アップしたいのですけどね。