リュウと春麗の萌え日記   (そま)

リュウと春麗の萌え日記

アンチヒーローは陰徳を積まれた尊きヒーローだった。

なぜかHPを書く前にブログに書いておかなきゃいけないような気がして

 

一連の記事を書いています。

 

今さっき、パソコン前に座っていたら、ある言葉が浮かんできました。

 

「いんとくのかみはいずものかみ」

 

陰徳の神は出雲の神?

 

確かにそうかも。

 

陰徳というのは、人が見ていないところで徳を積むこと。

 

出雲の神はダークサイドで世のため人のためにはたらいてくださった神様。

 

悪役を引き受けながらも、誰も見ていないところでこの国を守護してくださった神様。

 

・・・。

  

日本の魂を一手に担ってきたヒーローたちは、表の世界ではアンチヒーローのレッテルを貼られてきました。

 

それがスサノオであり、ナガスネヒコであり、アテルイです。

 

その真の活躍は神話をねつ造され、歴史書から封殺され、

 

真実がほとんど闇に葬られてしまったために、

 

悪役でまかり通ってきました。

 

日本人が日本の本当の歴史を知らされない。

 

けれど、感性を研ぎ澄ませて神話や歴史書あるいは歴史の教科書を読んでみたら

 

何かがおかしいことに気付くはず。

 

「この悪役は、本当の悪ではないんじゃないの?」と。

 

表と裏を読み取れば、行間をよむことができるのです。

 

悪役を担ってきたリーダーは、自分が悪役を引き受けることで

 

「皆が助かるのならば、喜んでこの命を差し出そう。

 

そして、自分の真意を悟られないように馬鹿になればいい。」

 

そう思っていたのではないだろうか。

 

誰にもわかってもらえなくても、

 

お天道様だけは見ておられるのだからそれでいいのだと。

 

・・・。

 

陰徳を積む。

 

人の見ていないところで徳を積むこと。

 

ナガスネヒコの子孫であるアテルイ

 

東北の地で最後まで縄文王国・日高見の国を朝廷から守り続けました。

 

歴史書には彼の名前が数行しか残っていないそうです。

 

そして、朝廷に抵抗した多くの蝦夷軍の族長の中で、

 

彼ひとりだけが蝦夷にかけられたすべての罪を背負って、

 

ほかの族長は罪を問われなかったのです。

 

彼ほど陰徳を積んだリーダーはいない。

 

彼ほど縄文王国の土地と民を最後まで愛し守り抜いたヒーローはいない。

 

それなのにわたしたちは、

 

学校ではアテルイという人物の誇り高き日本人としての生き様には触れもせず、

 

朝廷の言うことを聞かない悪い人として教わりました。

 

今もなお、教科書では朝廷に抵抗した悪しき逆賊として扱われています。

 

当時の朝廷は大仏を作るために金が欲しかったのです。

 

東北は金の豊富な埋蔵地だったために、

 

桓武天皇はこれまで見向きもしなかった東北の土地を欲しがったのです。

 

それが22年にわたる桓武天皇アテルイの戦いの始まりでした。

 

結局アテルイは、蝦夷の民と子孫の生活の安定と平和のために、

 

自分が降伏することで戦に終止符を打ち、蝦夷の国譲りをしたのです。

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 ・大阪府枚方市牧野公園内 伝阿弖流為・母礼の塚(筆者撮影)

 

 

昨日、実家に帰ったのですが、この国道163号線を上がったところに

 

ナガスネヒコ本拠の碑があります。

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酷道163号線。清滝峠に向かう。 

 

生駒にはナガスネヒコの墓はないのです。

 

あるのはナガスネヒコの本拠地を示す碑だけなのです。

 

日本書紀』ではニギハヤヒに惨殺されたことになっています。

  

なのに、神武との決戦の地である生駒山にはナガスネヒコの墓がない。

 

このことは、ナガスネヒコは殺されてはいなかった証拠であり、

 

日本書紀』の正当性を問う「手がかり」でもあり、

 

なによりも、ナガスネヒコを誇りに思う方々の手によって建てられたであろう

 

この碑には、ひのもとの国のご先祖と皇祖神の復活の願いが込められている。

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 ・奈良県生駒市 長髄彦本拠の碑(筆者撮影)

 

 

そして平安時代(*いったい何をもって平安というのでしょう)

 

蝦夷の族長アテルイは、

 

生駒から東北に逃れてきたナガスネヒコが先祖であることを知っていた。

 

ナガスネヒコアラハバキ族。

 

アテルイは縄文アラハバキの神を信仰していた。

 

そして蝦夷と物部は同族であることも知っていた。

 

だから朝廷から冷遇を受けた物部は東北にいる蝦夷を頼って逃れてきた。

 

その物部を蝦夷は喜んで受け入れた。

 

そして物部もアラハバキの神を祀っている。

 

要するに、蝦夷も物部も出雲族

 

アラハバキの神も、ニギハヤヒも出雲の神。縄文の神。

 

生駒の修験者の方がこう言っていました。

 

ナガスネヒコこそが正真正銘のスメラミコトだったのだ」と。

 

さて、陰徳があるのなら、陽徳がある。

 

これは、人が見ているところで積む徳のこと。

 

陽徳の神は崇め奉られたい弥生の神。

 

表の世界で華々しい功績を積む。それが陽徳。

 

陽徳を積めば積むほど地位や名誉が与えられる。

  

これまで表の座についてこられた方々は陽徳の神のご加護をいただいてきたのです。

 

けれど封印されてきた縄文の神々が復活を遂げ、

 

悪役を引き受けてこられた神が善良の神であったことが開示され、

 

自然界がシステムの反転を現象化しはじめたこの頃では、

 

今まで表の座についてこられた方々の裏が暴かれ、

 

座から降ろされる現象が次々に現れてきた。

 

その代わりに今まで表に出なかった一般人が脚光を浴び始めたり、

 

今まで抑圧されてきた一般人が声を上げてどんどん裏を暴きはじめた。

 

そして陰徳を積んできた人々の行いが世間に認められるようになってきた。

 

日本人は心眼を開いて真贋がわかるようになってきた。確実に。

 

これらの現象から逃れるかのように、

 

今上天皇は昨年にスメラミコトの退位を意思表明されました。

 

わたしたちはいま、この時期にとてつもない体験をさせていただいているのです。

 

わたしたちがしなければならないことは、

 

一日一日の瞬間瞬間を意識的意識で生きさせていただくということ。

 

どのような体験も、謙虚に受け入れて感謝する。

 

それが自我の変換。

 

ただそれだけ。

 

それだけのことに気づけばいいのです。

 

↓詳細はHPの暗号解読にて。 

ryu-chun2.jimdo.com


アテルイ平安朝廷とたたかった東北の英雄