出会う人・体験させられることは同時多発的多次元領域の縁で引き寄せられている。そのカギは周波数。
おととい、夢にある場所が出てきたので、どうしても行かなきゃいけない気がしたので昨日、行ってきました。
そこでびっくりな偶然に出会い、びっくりな偶然に導かれてゆきました。
このことはいずれ書くことになると思います。
昨日行った所の一つに安岡正篤(まさひろ)先生ゆかりの地に行って思わぬ偶然に出会ったのです。
そういえば、一週間くらい前に安岡先生の旧宅に行った夢を見たので気になっていたのを思い出したのです。
昨日体験した偶然に呆然となりながら、これは必然だったのだと振り返っていました。
安岡先生のご存在を教えていただいたのは12年前。
鈴木先生は代々神主の家系の方で、自分の父親くらいの年齢の方でした。
当時(12年前)老子の『道徳経』に出合って衝撃を受けたまさにそのとき、鈴木先生と出会ったのですが、
先生はまさに現代の老子のような先生でした。
先生は「やっと出会えた。あなたは前世の娘です」とおっしゃいましたが、わたしはそのことがわかりました。
ちょうどそのころ、今生の父が亡くなったところでした。
亡くなった父が夢に出てきて、
「あの先生は本物だから、これからはあの先生に何かあったら相談するように」
と言ったのでした。
鈴木先生は神主だけれども、神道のことはもとより、神様関係のことは一切教えてくださいませんでした。
ちなみに鈴木先生は霊能力者です。
先生からは4年間にわたって本当にいろいろなことを教わり、薫陶を受けたのです。
このことはすべてがつながっていたことがわかりましたので、またの機会に書くことになると思います。
そして今になって、なぜ鈴木先生とのご縁があったのか、ハッとするかのようにわかってしまったのがこの最近書いた記事
リュウさんが春麗さんを見つけたように、わたしたち日本人が縄文の女神を見つける方法 その① - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
だったのですが、
当時わたしは鍼灸の古典を学びなおすために東洋思想の本を読んでいました。そのとき教えていただいたのが東洋思想の陽明学者・安岡先生だったのです。
安岡先生はすでに(昭和58年)亡くなられています。けれどもなぜか安岡先生のことを深いところで知っているような気がしました。
その理由の一つが、わたしと安岡先生の生まれ育った地が同じ東大阪市のとても近いところだったからです。
安岡先生の本は深く感銘を受けるものでした。
安岡先生の本を読むたびに、自分の至らなさ未熟さに猛省の日々。
安岡先生は表ではたらかれた裏天皇だと知ったのはもっとずっと後のことでした。
その安岡先生が、なぜかわたしが導かれて訪れた神社とご縁があったのです。
このことは「暗号解読」シリーズリュウと春麗の神隠し その5 に書きました。
そして下の記事を書いた後、
リュウさんが春麗さんを見つけたように、わたしたち日本人が縄文の女神を見つける方法 その① - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
神主の鈴木先生が「鈴木家は熊野に源流がある」ということをおっしゃっていたことを想い出したのです。
実は5月ごろにローカル局のテレビで紀州にある「藤白神社」が紹介されていて、全国の鈴木さんが集う鈴木会があるとテレビで紹介していたのを思い出したのです。
そのとき、なぜかここの神社が気になったので調べてみたらニギハヤヒが主祭神で、鈴木家の源流はニギハヤヒだということがわかりました。
出会った方々は、見えない領域で導かれている。。。
あまりにも同時多発的に多次元でのご縁に、このように書いても意味不明かもしれませんが、わかりやすく書く力量がないのでゴメンナサイ!🙇
今回は鈴木先生と安岡先生とのご縁への感謝をこめて、
動画を貼らせていただきます。
安岡先生は天才だったので東大を首席で合格し官僚になったのですが、見切りをつけて辞めてしまわれました。
そして29歳の若さで金鶏会を立ち上げて政官財界人、天皇家の指導者となられたのでした。 安岡先生は現代の金鵄だったのだと思います。
今の日本人に必要なのは、真の指導者による教育だと思います。
わたしたちはこのような大人物から学ばせていただかなくてはいけないのです。
わたしたちは良き先生、良き師と出会って薫陶を受けなければいけませんね。
それは人でもいい、本でもいい。
自分を啓発し、自ら学ばなければ。
まずは自分が滅多打ちに打ちのめされるくらいに自分の未熟さを思い知ることから始まるのだと思います。
ぜひ動画をごらんください。
皆さまも本物の指導者に出会えますように。