リュウと春麗の萌え日記   (そま)

リュウと春麗の萌え日記

あこがれるって、いいね。少しはましな自分になろうと思えるから。

きのう(4月4日)は、高校野球の決勝だったんですね。

 

【試合結果】大阪桐蔭、史上3校目の2連覇! プロ注目の根尾が2失点完投で3度目V/センバツ

第90回選抜高等学校野球大会決勝(智弁和歌山2-5大阪桐蔭、4日、甲子園)大阪桐蔭(大阪)が智弁和歌山(和歌山)を下し、3度目の優勝を決めた。センバツの連覇は36年ぶり史上3校目の快挙。

 

大阪桐蔭の選手のみなさん、おめでとうございます。

 

智弁和歌山の選手の皆さん、大健闘でした。チャンスはまだ先にありますよ!

 

 

さて、外出先だったので、偶然、たまたまなのですが、試合終了の場面に出くわしたのです。

 

びっくりしました。

 

たまたま、大阪桐蔭高校の校歌を聞いたのですよ。

 

こりゃあ、もう誰もこの勢いを止められないぞと思いました。

 

(何の?)

 

高校野球に関することではありません。

 

こういうことは、いつも筆者の胸の裡のつぶやきで終わるのですけど、なんだか今日はブログに書きたいなと思ったので書きますね。

 

他の方はスルーしてくださいね。

 

 

 

大阪桐蔭高校 校歌

作詞:大橋 敏夫  作曲:大川 進一郎

 

大和平野にそびえ立つ

生駒の峯の松風が

古代のロマン 今もなお

とわに伝える 山麓

吾らが学び舎の 桐陰高

蛍雪競う若人の

研磨のおたけび 来り聴け

 

 

大和平野にそびえ立つ

生駒の峯の松風が

古代のロマン 今もなお

とわに伝える 山麓に・・・

 

これは完全に「ニギハヤヒ」への賛歌ですね~。

ニギハヤヒの命は生駒山(=いかるがの峰)にご降臨され、

生駒の豪族の長ナガスネヒコとともに古代大和を建国し治めていたのです。

 

この校歌はきっと『先代旧事本紀』をもとにして作られた歌詞だと思います。

 

偶然、たまたま外出先で見たこの校歌斉唱のシーン。。。

 

歌詞をガン見してしまいましたよ(笑)

 

こんな視聴者は、全国で筆者だけだろうな~。

 

 

ところで、大阪桐蔭高校は、筆者の実家からチャリ通10数分のめっちゃ近いところにあるのです。

 

生駒山麓の阪奈道路降り口近く。

 

そこは、ナガスネヒコニギハヤヒ)vs神武天皇の戦った古戦場のめっちゃ近く。

 

このごろ、メディアにニギハヤヒを暗号化した事象が表に現れてきている。

 

それも、優勝だとか、会長だとか、そのジャンルのトップとして表出している。

 

世間ではほとんど知られることのなかった消された神様。

 

けれど人々は思い出しはじめた。

 

魂の奥底に眠っていた記憶を取り戻し始めた。

 

やさしくて、あたたかくて、おおらかで、にぎやかなのが大好きで、

 

みんながよろこぶことをいっぱいあたえてくださった陽気な神様。

 

疑うことを知らない(だからだまされちゃうの)、愛そのものの神様。

 

なつかしくてありがたくてどうしようもないくらい大好きであこがれてきた神様。

 

いつか、自分も神様みたいになりたいと魂が強く願ってきた。

 

たましいは、記憶を取り戻せばそのときの思いがあふれてくる。

 

 

人間として生まれたからには、ほんの少しずつでも神様にお近づきになりたい。

 

だから今のままの未熟な自分を少しずつでも進化させたい。

 

かつて日本人のご先祖様のナガスネヒコが神様とともに国づくりをしたように、

 

人間のわたしたちが再び神様と国づくりをさせていただきたい。

 

そのためには自分自身にひそむ闇を光に反転しておかなくてはいけないの。

 

神様はすべての闇を打ち消してしまわれる。自分の中に闇が残っていると、太陽光線で焼き尽くされてしまうから。

 

光は感謝と愛で満ち溢れた周波数。

 

いつもいつも、うれしいね、ありがたいね、清々しいね、誇らしいね、うつくしいね、やさしいね、あたたかいね・・・って、たましいがよろこんでいたら、光になっているんだと思うよ。きっと輝いているんだと思う。

 

こういう気持ちになってると、困っている人を助けてあげたり、やさしくできたり、与えることができたりするんだよ。

 

うんうん、わかるよ。

 

すごくがんばってる。

 

そういうの、すてきよ。

 

きっとだいじょうぶだよ。

 

乗り越えられる。

 

信じているよ。

 

だって、あなたはそれを乗り越えられる人だから。

 

わたしは本当のことしか言わないからね。

 

自信もって!

 

ゼッタイ大丈夫だから。

 

守護霊様も神様もついているんだから。

 

・・・。

 

こういう言葉を人に言えるようになるんだよ。

 

そしてね、

 

自分がつくったごはんとかを、少しだけ分けてあげるの。

 

そうして、少しでも元気になってくれたら、

 

自分も元気になれて、うれしいな~と思うのです。

 

こういう毎日を、人と分かち合えたら、本当にすばらしいです。

 

筆者はいつもこんな感じです。

 

今日は高校野球から、こんな話になってしまいました。

 

とりとめもない話を読んでくださってありがとうございます。

HPを更新しました。

HPを読んでくださる日本でたった一人の方へ、いつもありがとうございます。

 

約一か月ぶりの更新となりました。

 

なぜかHPの作業をしようとすると、ねむ~くな~る。

 

そんなわけでやっと更新できました。

 

興味ない方は、スルーでお願いしますね~。

 

ねむ~くな~る、ねむ~くな~る・・・。

ryu-chun2.jimdo.com

 

 

 

またもや小説が書きたくなってしまった~。

2018年3月31日はブルームーンだったそうです。

 

ひと月に二回満月がある月のことをブルームーンと言うそうです。とても珍しいので「ブルームーンを見たら幸せになれる」と言われているのだそうです。

 

今年は2018年1月31日にブルームーン・ブラッドムーン(月食)がありました。そして同年3月31日もブルームーンがあり、一年間に二度もブルームーンが見られるなんて、ほんとうに珍しいそうです。

 

さて、そんな珍しきブルームーンを、雲一つない夜空で拝むことができました。眼下には満開の夜桜・・・。

 

こんな素敵なシチュエーションに、妄想癖がむくむくと湧き上がってしまいました。

 

久しぶりに小説を書いてみたいな~と思ってしまったのです。

 

もう小説は書けないかも? と思っていたので、自分でも可笑しくなりました。

 

なぜならブルームーンに桜。そしてあきまんさまの「リュウ春麗イラスト」という妄想の材料がそろってしまったから。

 

2018年になってから、筆者の脳内ではもはや「春麗さん→リュウさん」という図式が反転しておりまして、すっかり「リュウさん➡春麗さん」となっております。

(矢印の太さに注目ですよ!)

 

それはそれで、超扱いにくい孤高の主人公をどう書くのか。この無理難題を誰にも頼まれもしないのに手を出すなんて、なんと無謀な、と自分でもあきれております。

 

やめとけばいいのにねぇ。。。

 

筆者の場合、書くときはバーッと書くのですが、書き始めるまでジーッと待つタイプなのでいつ書きあがるかは未定です。

 

最後に小説を書いたのは2017年の12月末だったので3か月ぶりになります。

 

HP掲載の『春麗の女子会』です。

 

ずいぶん前のように感じます。書いた後、もう書けないな~とその時は思ったのですよ。

 

一個人の妄想話にすぎませんが、書けば書くほどリュウさんと春麗さんの美しさを失わせてしまわないかと感じてしまい、もうこれ以上書くのは無理だな~と思うのです。

 

けれど一度は書いてみたい。いや、挑戦してみたい。

 

反転したリュウさん➡春麗さん」を。

 

リュウさんは草食男子ではありません。

 

野性味あふれる肉食男子だと思うのですよ。

 

彼は自ら狩りに行くのです。

 

だって「俺より強い奴に会いに行く」男なんですから。

 

リュウさんを語るためには、やっぱり武道を語らねばならない・・・よね? その2

前回の続きだよ。

 

今から4年くらい前かな。

 

消防士の友達から合気道場においでって、しきりに誘ってくれていました。

 

彼は筆者が立ち上げた合気道場に来てくれていたんだけど、稽古時間と彼のライフスタイルが合わなくて、となりの県の合気道場に行っていました。

 

かなりかわった稽古しているから、おいでよって誘われていたので行ってみたの。

 

そこでは60代のK先生が指導されていました。

 

氣で相手を動かしたり、軽く触れるだけで相手を無力化したりする方でした。

 

日頃から肉体を鍛えている消防士の友達でさえ、全力でかかっても一瞬で床に落とされてしまう。そしてそのまま動けなくなってしまうのです。

 

合気道の型稽古が成立していない・・・。

 

技を極める前に相手を無力化してしまうのでした。

 

「ここに来る人は皆、武道因縁がある人です。それも最終段階の」

 

K先生はそうおっしゃいました。

 

(やっぱり武道因縁が残っていたのね・・・。)

 

自分も内心納得していました。

 

「稽古に参加している方は、みな求道者の方ばかりです」

 

先生のおっしゃるとおり、僧侶、キリスト教信者、宣教師、高校教師など人を教え導く方が稽古しておられました。そして唯一女性だった筆者は鍼灸師

 

消防士の友達は、人命救助という人のいのちを扱う仕事が四六時中プレッシャーとなっていて精神がいつも緊張しているのだと言っていました。だからここへ来たら楽になるんだと言っていました。

 

人によりそれぞれ課題を背負って稽古に来ていました。稽古時間が悩み相談になってしまうこともよくありました。

 

みんなやさしい人ばかりなんです。やさしくて感受性が強いがために、ここに導かれてくる。

 

稽古だけじゃなくて、心の在り方を先生はいつもアドバイスしていました。

 

技は心のあり方が即座に出ます。ここでの技は指一本で相手を倒してしまうことをやっていて、自我があれば絶対に技を極めることができないのです。

 

相手が倒れれば、無我になっている。倒れなければ自我がある。

 

全か無か。100%か0%のどちらかしかない。それは心の在り方で決まる。

 

人間は多次元的存在で、肉体レベルでのやり取りはここでは通用しない稽古をしていて、宇宙意識になれば相手に触れるだけで相手の肉体レベルのパワーを無力化することができる。だから攻撃的になっていては合気はかからないと先生は言っていました。

 

むしろ、攻撃した分だけ作用反作用の原理で自分にダメージとなって跳ね返るのです。

 

合気は相手と一体となる技で、パワーで攻撃しても投げ飛ばす前に、自ら崩れ落ちてしまう。先生はひとりで5人取りしても、5人がいっぺんに崩れ落ちてしまうのです。

 

そして相手だけでなく、宇宙と一体になった感覚さえある。これは澄み切った意識でなければ体感することはできないのです。

 

「ここでの稽古は、八段の師範でもできないことをやっています。最終段階の修行、最難関の稽古を最初にやっています」

 

とおっしゃいました。

 

筆者は前回の記事に書いた合気道場を開設したころ(10年位前)から、瞬間瞬間の身口意を正し、自我を滅却することを常日頃実践していたので、K先生の指導内容はとても共感できるものでした。K先生は「わたしは24時間365日合気道を実践しています」とおっしゃっていました。

 

皆と一緒に稽古していると、その方のあり方が見て取れる。みな、楽になりたいのに自我を守っているために自分を解き放てない。

 

うつ病の人もいますが、とても自我が強い。

 

固定観念、ねばならない、相手への批判、そして被害者意識・・・。

 

それらを外せなくて苦しんでいる。

 

そして彼らはそのことに気づいていない・・・。

 

武道は精神がダイレクトに術としてあらわれるからメンタル面に問題を抱えている人にはとても良いと思います。

 

うんと自分の波動を上げておかなければ、今の現状を変えることはできない。ゆえに技が極まらない。

 

筆者の場合は、多人数との稽古では技をなかなか極められないのに、先生とふたりの稽古だったら極められるのです。

 

先生の波動と同調したら、とてもスムーズに稽古が進むのです。筆者は氣のボディができていると先生はおっしゃっていて(自分ではわかりません)、指導者になるように勧められました。(いえ、そんな、おそれ多い・・・)

 

ある日、ヒーラーの方が見学に来ていました。

 

わたしの稽古を見ておられて、言われたことがあります。

 

「窓の外の山から金色のプラーナがキラキラ輝きながらいっぱい飛んできて、あなたの周りを包み込んで両手を通じて丹田の前に金色の球ができていて、両手を丹田の前から押し出す動作をしたときに、金色の球が前に飛んでいきましたよ」

 

(  Д ) ゚ ゚ヘッ!?

 

その稽古は遠隔で相手を氣で押すということをやっていたのですが。。。それってもしや!?

 

波動拳みたいなものですか?」

 

「そうです」

 

( ゚Д゚)ヒョエー

 

波動拳は本当にあるのですよ。しかも、誰にでもできる!!筆者にできたのだから、誰でもできます。

 

しかし、ゲームで波動拳が出せなくて苦労したというのに、リアルに波動拳を出してしまっていたなんてねぇ・・・。

 

稽古中に、こんな体験をしました。

 

自分を包む空間が粒粒の粒子で満たされていて、そのとき即座にわかってしまったのです。

 

「色即是空、空即是色、天上天下唯我独尊」

 

この意味が理屈を超えてわかってしまったのです。

  

どんなにたくさん書物を読んでも、人から教えてもらっても、体験体感しなければわからない。

 

それは、自分自身がそれであることだとわかるもの。

 

ひらめきは論理を瞬時に超越する。

 

それを体感したら、目に見える、見えないものもすべてが同一のものだったとわかる。

 

具体的に書けば、すべては原子(物質)でできているけれど、それを構成するためには意識エネルギーでの意図があってその物質に姿を変えている。

 

見える物は見えないもので出来ていて、実在は非物質であり、物質は非実在であると。どんなに小さな物質も、それになりたいという意識でその物質になっている。

 

そしてどんな原子も、かつての縁があって物質化する。

 

人間とパソコン、人間とマグカップ。それぞれのパーソナリティは何度も転生しても、また縁があって、そこにあるのです。

 

だから、あなたが使っている道具はみな、かつてお世話になった存在物であるのです。

 

物言わぬものにさえ、ちゃんと意識が備わっていて、また人間の役に立ちたいと願って物質化してくれているのですよ。・・・なんとありがたいことでしょう。。。

 

ゆえに、すべては同一の存在であり、原子。それはいのちであり、いのちは平等であるのです。

 

そしていのちは命であり、神であると。

 

神というのはどこか高い次元の玉座に鎮座しているのではなくて、そこかしこに偏在していて意識を同調させれば即座に臨在する。そのように感じられる。

 

偏在している実在がすべてを構成していて、自分という存在もまた、その一部である。

ゆえに、人間も草も存在物も、実在は不可視のいのちであって神。神は命であり愛。

 

見えない空気でさえ神ならば、空間はすべて愛で満たされていて、愛はつねに与えられていたのだと。常に一体だったのだと。

 

どんなに自我で自分は満たされていない、不満だと思っていても、本当は愛で満ち溢れていたのだと。

 

そのことを即座にわかったとき、感謝の思いが怒涛の如くあふれてきた。

 

このことを今の今まで知らずにいたことの心からのお詫び。畏敬の念。悔恨の念。。。

 

人間レベルの悩みがなんと愚かで近視眼的な錯覚であったかを思い知る・・・。

 

気づきというものは、自分を構成してきた「思い込み」のゲシュタルトが崩壊するの。

 

現代の知識、常識、学識、その他とらわれてきた人間社会の約束事・・・それらがすべて幻想だったと思い知る・・・。

 

自分こそわかっていると思い込んでいた観念がガラガラと崩れ落ち、これまで蓄積してきた知識、観念がなんと傲慢極まりない囚われだったかを痛切する。

 

自分の傲慢さに対してのショックと、心の底からのお詫びと深い感謝がまぜこぜになって、号泣する。涙は不純な想念を浄化し、再度ゲシュタルトが構成される。

 

するとこれまでとは全く違った意識の自分ができてくる。見える世界が変わる。

 

これを何度も何度も体験すると、肉体レベルの浄化がはじまる。

 

涙はもとより、鼻水、発熱、咳くしゃみ、下痢などの症状が出て、不純物を排出する。

 

こういう体験をした後に合気道の稽古をすると先生はすぐ気づかれる。

 

「氣」が大きくなったねと。

 

こういう体験を何度も何度も深く広く拡がりを続け、これまで何十回となく繰り返してきました。どんな小さな些細なことも、気づきを得ると同じことを体感するのです。

 

先日、先生からのお誘いのメールをいただいたので半年ぶりくらいに稽古に行ってきました。(不真面目だな~)

 

先生は積もる話があったようで、いろいろ話されていました。先生はいつもわたしとふたりのときは稽古が終わってもなかなか帰してくださいません。筆者は先生の話の聞き役だったのです。

 

「魂の課題はみな、人ぞれぞれ。わたしは、今生が最後だと思ってやり遂げると決心しました。今生でやり遂げられなければ、守護霊様にどんなお叱りを受けるかわからない。今度こそ魂の流産には決してなりません。死に物狂いでやり遂げるつもりでいます」

 

先生はそうおっしゃっていました。逐一うなづく筆者。よ~~くわかります。わたしも同じ思いだから。

 

そして感じたことは、K先生もまた、求道者であったと。そして、今生でやっと道を見つけた人なのだと。今生でK先生の武道因縁は解き放たれる。そう思いました。

 

道はそれぞれ違っても、必ずたどり着く場所は同じ。

 

その道のたどり方は家庭や学校では教わらない。親も先生も知らないから。

 

けれど道を求める人には必ず与えられる。

 

いいえ、常に与えられ続けている。求めることができる意識が与えられている=自分という存在を与えられているから求めることができるのです。

 

ただそれに気づけばいいだけなのです。

 

リュウさんを語るためにはやっぱり武道を語らねばならない・・・よね? その1

ストリートファイター30年の歴史本【メモリアルアーカイブ】が出版されたそうですね。おめでとうございます! すごいですね。30年もの歴史がつまった本!

 

あきまんさまの(リュウ春麗のツーショット!!)のイラストが表紙だそうですから、絶対にゲットして家宝にせねば!と喜び勇んで昨日、徒歩三分のところにある本屋さんに行ってみました。

 

残念ながら、お取り扱いされていませんでした。(´・ω・`)ショボーン

 

気を取り直して、昨日メールで合気道の先生から稽古のお誘いがあったので、道場にぶらっと顔だけ出して来ようと行ってきました。

 

そういえば、ブログで合気道のことを書いたことがなかったですね。

 

リュウさんは武道家だというのに、武道ネタをまったく書かない筆者。

 

かといって、ゲームネタもほとんど皆無だという。いったい筆者は何を書いてきたのだろう・・・。も、妄想だけだったのか!?

 

武道ネタ・・・。

 

いつかは書かなきゃいけないかもしれないと思っていました。

 

なんと、筆者は合気道五級。←最下級ですvヽ(*´∀`)ノ ワーイ!! 

 

確か今から11年くらい前のことになりますな~。

 

HPでチラッと書いたのですけど、熊野本宮大社に参拝したときに合気道開祖の植芝盛平翁とつながってしまったのです。。。

 

なんとそれからしばらくして奇遇にも開祖の直弟子のA先生と出会ってしまいました。

 

A先生は開祖と滝行とかもしたことがあったそうでして・・・。格闘技の神様といわれた塩田剛三師範の後輩でもあった方でした。

 

開祖はかなり無茶ぶりなキャラだったようで、A先生もその道を行くタイプでした。

 

筆者は今生ではもう武道はしないと決めていたんです。

 

(武道は過去世でさんざんやってきました。いったい何人人斬りしてきたことか。相当人を傷つけてきたのだろうと思います。過去は殺法、今生では活法を。因果ですな~)

 

そ・れ・な・の・に

 

(ごり押しされまして)合気道道場の開設者&責任者を拝命したわけでした。

 

A先生は、筆者に無試験で5級の免許証を持ってきて、なおかつ袴をはきなさいとおっしゃり、開祖の写真の前で「拝礼!!」の号令係を命じられました。

 

何度も固辞したのですよ? でもA先生は「これは大先生(開祖)のお導きであんたと出会うたんや。あんたには指導者になってもらう」とおっしゃいました。まさか、そんな・・・。

 

そして、毎回大量に武道関連本をどっさり持ってきては、「読んでおくように」と申しつけられていました。そういえば『古事記』とかの神話の本もありましたけど一切読まなかったな~。(笑)

 

開祖のDVDも見ておきなさいと言われました。白黒で貴重な動画でした。開祖は神道に造詣が深く、祝詞を奏上する姿もありました。

 

A先生は開祖に教わったように教えてくださったのだと思います。いつも手のひらの中心に「ス」の神様がどうたらおっしゃっていて「氣」の稽古が多かったです。

 

御年78歳で力をまったくいれずに「氣」で投げておられました。「上手い」と思わせられるのは、投げられたのに不思議と気持ちがいいのです。

 

空気投げなどは本当にすごかったです。いつもは強引なおじいちゃんなのに、ふんわりと空間ごと投げられてしまう。

 

まあ、そんなこんながいろいろありました。

 

不思議なのですが、当時開祖からメッセージが届いていました。

 

開祖は合気道は戦うためのものではなく、世界を平和にするための和合の術であるとお考えでした。

 

戦争体験者であり、日本のスパイ学校(中野学校)で指導されていた開祖。

 

誰よりも平和を望み、人類から戦争をなくすために尽力されていました。

 

だから開祖の魂はあえて高い次元に行かれず、人間界をサポートするためにとどまってくださっていたのでした。

 

合気道は護身術ですが、本当は護身術など必要としない空間を自ら作るのが本当なのです。

 

それは、女性が痴漢に遭う。それを撃退する技なんかではなくて、痴漢を呼び寄せない原因と結果の法則に則った生き方をする。ということです。

 

敵を作るのは、おのずから発する波動が敵をつくってしまっているから。

 

原因の世界はすべて、自分自身にあるのです。

 

開祖は鉄砲の玉をすり抜けられる人でした。なぜ鉄砲の玉が当たらないかというと、

 

鉄砲の玉が当たるというのは結果の世界。

 

そこで当たらないようによけるのではなくて、原因の世界、すなわち意識の次元ですでに鉄砲の玉に絶対に当たらないように意図しているから。

 

意識の次元では、迷い、恐れ、疑い、不信、または攻撃心などが一切生じてはならないのです。無我の境地とよく言いますが、開祖のレベルともなれば、四六時中が無我の境地だったのだと思います。

 

筆者には足元にも及びません・・・。

 

五級、返上させていただきたいくらいです。

 

筆者は生涯白帯と思っていたのでその後も昇級審査は受けませんでした。先生はしきりに審査の型を教えてくださったのですが・・・。だから生涯最下級です。

 

それから門下生が20人を超えたくらいになった頃、A先生はもう車の運転をさせてもらえなくなっていて、稽古に来られないようになっていました。

 

そんな中、稽古中に開祖から「これで終い!」と言われたような気がしまして、筆者は道場を後の方にお任せして退会したのでした。

 

これが当時のエピソードです。面白いことに、当時書いた長編小説は開祖のエピソードが満載になっております。開祖は最強の神スサノオの申し子だったそうです。

 

開祖とつながったのは熊野本宮大社に参拝していたときでしたが、その神社の主祭神はなんとスサノオ。。。

 

・・・ともかく、これでもう、一生武道とは縁のない人生だと思っていたのです。

 

で・も!

 

そうは問屋が卸してはくれませんでした。つづきは次回に。

リュウさんを語るためには、やっぱり武道を語らねばならない・・・よね? その2 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)

実はリュウさん、春麗さんのことが好きだったのでは!?という疑惑を検証してみた。

リュウさんは長年何かを探し続けてきたけれど、春麗さんと握手したらあっさりベガ様を倒しちゃったね~。

ひょっとしてリュウさん、ず~っと春麗さんのことを好きだったんじゃないかな~?って思ってしまったの。好きなのに、その気持ちを受け容れなかった。だから殺意の波動は克服できなかったんじゃないかって!?

ダルシム師に「今一度、おぬしが秘める波動に向き合うがよい」 ってアドバイスされるんだけど、リュウさんが秘める波動って、春麗さんへの思いだったりしてね!?

だって、あんなにもあっさりベガ様を倒しちゃうんだもん。春麗さんと握手しただけで。春麗さんのこと好きじゃなかったら、できない芸当だと思うんだ~。

それに、シャドルー基地から脱出するときに、波動拳春麗さんを守っちゃうんだけど、あれ、絶対リュウさんが春麗さんに特別な感情があったから「攻撃」じゃなくて「守るための」波動拳になったんだと思うの。つまり、春麗さんにだけしか使えない技だったんだよ。そのことを今さらながら考えてみたの。

「ずっと、何かを探している」

これ、『君の名は。』のフレーズです。リュウさんと同じなんですよね。探しているのは、物質的なものじゃないことは明白なわけで。だからこそ、何かがわからない。

拳で答えを探してきたリュウさんにとって、まさか自分の中に答えがあるなんて思わなかったんだろうね。答えは自分の外にあると思ってずっと世界中を旅していたんだから。

彼は自分の感情を感じ取ることが苦手なの。できれば感情に振り回されたくない。感情は抑え込むものだとさえ思っているの。ゼネラルストーリーでは次のようなセリフがあります。

 

ダルシム師 「おぬしの心には波一つない。しかし、抑え込むだけでは、いずれ波に呑まれる。今一度、おぬしが秘める波動に向き合うがよい

リュウさん 「向き合う・・・

 

それではじめて自分の感情に素直になってみたんじゃないかな? それでベガ様をあっさりと倒せてしまった。彼は自分に素直になることを、体験してはじめて自分に許すことができたのかもしれないね。

そんなリュウさんだから、答えを見つけてしまったらまっしぐらに突き進むはずなんだ。

チュンリーーーーーー!!!!!」ってね。

ああ~~~見たいな~~~そのシーン!!

瀧くんが「みつは~~~~!!!!」って叫ぶように、リュウさんが春麗さんの名前を叫ぶシーンを見てみたい!!!!

煩悩ですな~。いやいや、これは魂の叫びですから。

男は女に向かって突き進む。これは自然の摂理ですからね。

男が運命の女に出会えたときの歓喜

そのすさまじいほどの感情の昂ぶりは、見る者に感動と共感の渦を巻き起こすの。

なぜならば、それは生命の普遍的なシステムだから。

システムとは? 「愛」ですよ。

久しぶりにHPから引用しました。字数制限があって、全文を載せられませんでしたので、続きはクリックお願いしますね。

 

リュウさんがずっと探し求めてきたものは何か?


まずは『ゼネスト』から。 

映画仕立てのゼネラルストーリーはたくさんのキャラが総動員で登場しますが、主人公はリュウさんです。そしてヒロインは春麗さんです。

なぜならエンディングの登場キャラのクレジットの筆頭にリュウさん、その次に春麗さんの名前が挙がっているからです。

 

リュウさんは主人公だというのにほとんどセリフがありません。格闘家でありながら求道者でもある彼は言葉で語らず「拳」で語っているからです。

ストーリーの序盤から殺意の波動をいまだ克服できないでいるリュウさんは「右拳」を見つめて何かを探しています。

リュウさんはこんなにも懸命に修行をし続けているというのに、いったい何が足りないのでしょう。覚者であるダルシム師からは「今一度、おぬしが秘める波動に向き合うがよい」 とのアドバイスをいただきます。
リュウさんは「右拳」を見つめるのです。何が足りないのだろうかと。何と向き合うべきなのかと。
そこへネカリという名の古代の戦士が突如現れ、リュウさんは殺意の波動を発動してしまいます。
  
ダルシム師は身体を張ってリュウさんの攻撃を阻止します。
殺意の波動に呑まれてはならぬ」とダルシム師。リュウさんは右手を見つめ、うなだれるのでした。
ケンが勝負を挑みに来ました。けれどもリュウさんは負けてしまいました。
ケンが去った後、リュウさんは「右拳」を見つめ、たたずむのでした。
シャドルー壊滅作戦の参戦を依頼を受けたリュウさんは、日本に帰国してネカリと再戦します。
ネカリに一撃必殺を与えたのは「左拳」でした。
リュウさんはネカリに勝利しました。でも勝負のあと「まだだ!」と一言。探している何かを得た手ごたえはまだないようです。なぜなら、今回は「左拳」で勝利したのであって「右拳」ではなかったからです。
ネカリとの対戦を見ていた春麗さんが「がんばりましょう」と握手を求めてきました。

    

リュウさんは「右手」で春麗さんと握手しました。

ふたりは握手した後、ともにシャドルー基地へと向かいました。
クライマックス、リュウさんはベガ様と一騎打ちです。

ベガ様「かの者を倒したその力、見せてみろ!」

  

リュウさん「倒すための力ではない」

リュウさん「これは進むための力!」とうとう「右手」に探していた何かをつかんだようです。
なんと、リュウさんはベガ様のサイコパワーを殺意の波動を発動させることなく受け止め、なおかつ波動拳をベガ様に放つことができました。受け止めるのは女性性、放つのは男性性の特徴です。

 

ネカリを一撃した「左手」は男性性。春麗さんと握手した「右手」は女性性。この相反する一対がそろってはじめて、リュウさんは完全となれたのです。リュウさんの放った波動拳はこうして完成したのです。

左と右。男と女。陽と陰。上と下。これら二元性を一つにすることなくして殺意の波動を克服することはできなかったのです。

 

陰陽の統合がベガ様に対しての勝因だったのです。

 

ここまでを頭に入れておいてくださいね。次、いきますよ~。

 

君の名は。』瀧くんが探していたものとは?


 主人公の瀧(たき)くんはずっと何かを探しています。どうやら「右手」に何かを探しているようです。

ヒロインの三葉(みつは)さんも「右手」に何かを探しているようです。
瀧くんはじっと「右手」を見つめていつも何かを探しているのです。

 

男と女の入れ替わりという現象が起きた後、彗星が落ちてくる直前に3年という時空間を超えて「かたわれ時」=「彼誰時」にふたりはやっと出会うことができました。瀧くんが探していたのは一対の片割れの三葉さんだったのです。

陰陽の統合です。

ゼネストと同じですね。ここまでは基本中の基本ですよ。陰陽の統合が起きるとどうなるのでしょうか。 

 

彗星と波動拳


君の名は。』のストーリーは彗星が軸になっています。これは何を象徴しているのでしょうか。

彗星はこの湖に向かって落ちるのです。
彗星落下の直前に、宮水神社のご神体にお供えしてある口噛み酒(三葉の分身)を飲んで記憶を取り戻した瀧くんが体験(体観)したのは・・・。
1000年前に彗星が湖に落ちた記憶とともに映し出された映像・・・。
三葉さんを産んだ母二葉さんの記憶でした。
彗星は火。湖は水。彗星は精子。湖は卵子

このふたつがひとつになることにより誕生するのは生命・・・。

 一方、ストリートファイターⅤゼネラルストーリーでは・・・。

崩壊するシャドルー基地から脱出する際、リュウさんが波動拳を放ちます。
なんと春麗さんに向かって。

波動拳によって落下物から守られた春麗さんは、女の子を抱いてリュウさんのもとへと駆け寄ります。

波動拳精子春麗さんは卵子。このふたつがひとつになることにより新たな生命(女の子)の誕生を物語っています。

 

陰陽の統合によって生命を生み出すことができるという基本原理を戦いの世界の中で描写していたのです。

生命の誕生は、同時に家族の誕生でもあるのでした。(ゼネストにおいては比喩的表現となっています)

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リュウさんの家庭訪問。

めっきり春めいてきましたね。みなさんいかがお過ごしですか?

 

春は何かとせわしないですね。卒業、移動、決算、引継ぎ。何かとばたばたの季節。

 

世の中はめまぐるしく変わっていきます。良いほうへ良いほうへ。

 

あなたはテレビを見て、コメンテーターや評論家視点になってはいませんか?

 

筆者はこう思います。「大変!おそうじしなくちゃ!!」

 

家はもちろん、身辺整理、心身もおそうじしなキャ━━━━(゚∀゚)━━━━!!って、思います。

 

浄化、浄化、浄化~~(^^♪

 

アラハバキの神様はアラをはばいていかれますし(はばく=箒=ほうき)

 

縄文の神様はどんどん穢れを祓ってゆかれます。地球の呼吸が再開して災害も起きる。

  

もう誰もその勢いを止めることはできません。

  

筆者もようやく本気で掃除に気合をいれなきゃって、やっと重い腰をあげましたよ。

 

さて、どこから手に付けたらいいものか??(゚Д゚≡゚Д゚)

 

 

 ☆彡 ☆彡 ☆彡

 

 

春麗さんの家って、きっとめちゃくちゃきれいだと思うな~。

 

だって、典型的良妻賢母型A型タイプだもん。きっといつも家をきれいにしていて、リュウさんが来てくれるのを待ってる。

 

リュウさんが来てくれたら、腕を振るって手料理でもてなす。

 

これでたいがいの男性は落ちるね。

 

きれい好き+料理上手=愛され上手!!

 

筆者の理想だわ~。だから春麗さんがあこがれの女性なんだわ。O型の筆者と逆!!

 

こんな女性にめっぽう弱いのがO型男!!

 

「また、来てしまった・・・」

 

って、きっとリュウさんは言うね。

 

春麗さんはリュウさんの理想の女性なんだと思うよ。

 

なんか、いいよね。なごむよね。リュウさんの帰る場所は春麗さん。

 

リュウさん、そりゃあ春麗さんに惚れるわ。

 

な~んて妄想しながら掃除しますよ~。だって四月末には天下の家庭訪問が!!

 

リュウさんを待ってる春麗モードになっちゃえば、掃除もウキウキでできるかも!?

 

でも、春麗さんには一生かけてもなれないな~。レベルが違いすぎて。

 

でもほんのすこ~しでも近づきたいな~。