約1年ぶりの更新です。
わたしは1992年7月以来のリュウ春好きです。
リュウ春好きさんなら、このブログをあますことなく楽しんでいただけると自負しております。
そのために開設させていただきました。
このブログの特徴は、リュウ春を通じて神々の世界を思い出していった世界唯一のブログであることです。
現在は場をかえてブログを書いております。最新のリュウ春記事はこちらです。
https://newjomon.exblog.jp/30385519/
約1年ぶりの更新です。
わたしは1992年7月以来のリュウ春好きです。
リュウ春好きさんなら、このブログをあますことなく楽しんでいただけると自負しております。
そのために開設させていただきました。
このブログの特徴は、リュウ春を通じて神々の世界を思い出していった世界唯一のブログであることです。
現在は場をかえてブログを書いております。最新のリュウ春記事はこちらです。
https://newjomon.exblog.jp/30385519/
2020年。子の年。年始から世界中が疫病で震撼していますが、ひのもとの民は太陽の子ですから、恐れることはありません。新しい太陽(新型コロナウイルス)を恐れているのは世界の支配層です。
2020年、あきまん様がリュウさんと春麗さんのイラストを新たに開示されました。なんと自然体なんでしょう。ふたりそろって笑顔だよ!?今までなかったよ!?このツーショット、あまりにもまぶしすぎて直視できない・・・!!
ともかく、これが本来の二人の姿なんだと感動しました。
*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*💖
1992年7月。弟が買ってきた初代ストⅡの説明書を見ました。真の強さとは何かを追い求め、真の格闘家になるべく世界中を旅するさすらいの日本人格闘家リュウさん。彼を一目見た瞬間に脳天に稲妻が落ちてきました。
このとき、「春麗さんとくっついたらリュウさんの夢は叶う!」と根拠もなく直観したのです。
それから25年経ってからストリートファイターⅤの動画を初めて見ました。
この動画には、アクションゲームとストーリーが一体になっていて、クリアーすると一つの物語が完成するようになっています。この作品を見たとき、わたしはこのストーリーには裏ストーリーが隠されていることに気づき、HPを立ち上げて気づいたことを書いていきました。
下のイラストはストリートファイタ―Ⅴの公式パッケージデザインです。衝撃でした。ストⅤのテーマは「リセット」。キャラクターのテーマは「古代」。イラストレーターさんは「Kiki」さん。
Kiki(記紀=古事記・日本書紀)さんが古代をテーマにキャラをデザインしたキャラたちが、「リセット」のプログラムが組み込まれた高次領域情報が刻印されたストーリーが隠されていたのです。
わかったことは、このふたりのキャラクターは、長きに渡って引き離され、封じられてきた日ノ本の夫婦神様だったのです。
わたしが1992年7月にこのゲームを見たときに落雷が落ちたかのような強烈な直観は、隠されてきたもともとの皇祖神を表に出すミッションを受け取っていたのだと今ならわかります。
世界的大ヒットした日本の創作物は、高次領域からダウンロードされた作品が多いのです。クリエイターの方々はその役割に長けておられます。
わたしは創作物に刻印された高次領域の情報を、直観のままに解凍していくことになっていきました。そのうち、実際に導かれた土地に訪れる体験を繰り返していきました。直観を実践行動し、体験することで情報が開示されていく。それをHPに書き記していく。その繰り返しをわけがわからないまま続けて参りました。
2020年。引き離され封印されてきた元の皇祖神「天照大神」がご夫婦そろっておはたらきになります。
天照大神は太陽神。真の天照大神は男神であり妻神と一体なのです。
日ノ本は太陽信仰。日本人は太陽神の子ども。これまでの迷いの世界の意識から脱却し、日の本の記憶を取り戻して御正道に生きることが親神様との約束だったのです。
HPには1992年7月以来、隠してきた思いを表に出して、今後の人類に必要な道しるべを記しています。リンク先はこちらです。
ブログはこちらです。
みなさんこんにちは。ずいぶんご無沙汰しておりました。
実はこのブログを書かせていただくのに、心の整理が必要でした。
なんせ26年間にわたる一連の謎が解けましたので、安堵というよりもさみしさもあります。わたしの中の何かが終わったような気がして、他のことに手がつかない状態でした。
そんな状態のときに新たな人生の展開があり、最初の一歩が踏み出せずに居着いてしまっていたのでした。
今回は、ご神体の三輪山に登らせていただく機会に恵まれたことを記して参ります。
一の鳥居。とても大きな鳥居です。
大神神社の主祭神は大物主です。神話にも登場されるとても重要な神様です。神話はあまりにも奥が深いので一言では説明できません。一つ一つ紐解いていかなければわからないようになっているということが筆者の感想でありその記録としてHpに書き綴ってまいりました。
筆者がはじめてここをご参拝させていただいたのがちょうど一年前でした。
この奥に三つ鳥居があって、その奥にご神体の三輪山がご鎮座されているのです。
ご神体の三輪山へのご参拝させていただいた日は2018年11月25日でした。
入山するにはいろいろと約束事があります。ご神体だけに裸足で登る方もいらっしゃいました。無料で貸し出している杖は必携アイテムです。結構な山道で片道一時間、往復二時間かかりました。三輪山の御神体を登らせていただいてやっと一段落させていただいたような気がします。
ここの木さんには再度ご挨拶させていただこうと思っていました。この木さんに触れて感謝をお祈りしてから写真を撮りました。後で写真を見るとなんと!木さんはお顔を見せてくださっていました。ふたつの目が光っていて、鼻筋が通っていてあごひげがとても立派です。わかりますか?
神社には八百万の神々、精霊、自然霊などの神域です。石や木は人間よりもはるかに長い年月をこの三次元で生きておられますから、霊力は人間よりもはるかに強力です。
自然霊が写り込んだ写真はこれまで結構ありました。
歴代天皇様とのご交流をさせていただいたご縁をいただきましたので、今回は実在した初代天皇と言われている第十代崇神天皇さまにご参拝させていただきました。
日本は神の国だということを義務教育で教えないようにされてしまったことが、この国の最たる悲劇なのだとわたしは思います。日本は神の国であり、日本人は神様の子であると教わっていたなら、どれほど誇りと責任感を持って生きていけたことでしょう。
崇神天皇は夢で神(大物主)と対話し、神の御意思のとおりに実行されて災害や飢饉から国民を守られたのです。これが本当の天皇としてのお働きなのだということが神話から読み取ることができます。崇神天皇は現在の日本のありさまをどのように感じておられるかと拝察いたしますと・・・とても複雑な思いが伝わってまいります。
わたしは26年間にわたる一つの役割を終えさせていただいたことを機に、新たな人生をスタートさせていただく決意をしました。
今までは自分の思いを人に伝えることはとても苦手で、自分が人と違う感性を持っていることを隠してきました。
そんなことでブログもひっそりと書いてきました。
そのブログもリュウ春ファンの方にだけ共有させていただいてきましたが、
やっぱり自分は他のリュウ春ファンの方と違う視点で物事を見ていましたので、
読者さまにとってはよくわからないと感じられただろうなあ、と思います。
それでも「そま視点」の記事を読んでくださった皆様には本当にありがたいなと思っています。
リュウ春についてはかなり好き勝手に妄想を書かせていただいたので、思い残すことはありません。
リュウさんは偉大になりすぎてなかなかゴール(春麗さんのところ)に行かせてもらえないのは仕方ないかもしれませんね。だから新たに「影なる者」が生み出されたのでしょう。リュウさんも大変だ~。でも、はよこの二人を結婚させてあげて〜‼︎(笑)
これからは皆さんに恩返しをさせていただきたいなと思います。
これまでのわたしが得たひらめきを形にしていくこと、
とても大事なことを伝えていくことです。
少しずつお伝えしていければいいなと思います。
ブログは新たにしました。
よろしければお気に入りに入れていただければ嬉しいです。
今までお目通しいただきありがとうございました。
そして引き続きよろしくお願いします。
そま
前回の「自己紹介」の記事で合気道の体験について書かせていただきましたが、いろいろと不思議な体験をさせていただいたなあ、と思い返しています。 まずはこちらから。
開祖の直弟子の先生に教わっていたころのわたしには、武道と神様との関わりなどとても理解できなかったのですが、あるエピソードを思い出しました。
「ス」の神様のことです。
先生はいつもてのひらに「ス」の神様を意識して、てのひらからエネルギーが放射するようなイメージをしなさいとおっしゃっていました。
▲合気道の先生にはマル・チョン=「ス」の神様と教えられました。
わたしは当時、「『ス』の神様!?」と頭の中では疑問しかなかったのです。武道は理屈で考えたり理解しようとしてもうまくいかないので、「ス」の神様という神様がいらっしゃるのだな~。としか思いませんでした。
それから6年後、二度目の合気道場に入門してからのことです。先生はいつも、稽古前に「合気の神様、ありがとうございます」とお祈りされていたのですが、わたしも「合気の神様、ありがとうございます」と思いながら手を合わせていました。
ある日、合気の神様って、どんな神様なんだろうと疑問に思ったのです。その日の稽古が終わった後、ある物理学者の方のブログを読ませていただいたのですが、なんと、その学者様がたまたまアップされていたのが「サムハラ神社」でした。
わたしは「サムハラ」とは、変わった名前の神社だな~と思いましたが、サムハラ神社の所在地を調べてみると、なんと!大阪府柔道整復師会の近くではありませんか。柔道整復師会はもう、20年来仕事でお世話になっているところだったので、びっくりしました。とても近いところにあったのに、全然知りませんでした。
「サムハラ神社」は造化三神という、宇宙根源の神様をお祀りしておられまして、もしかしたら、ここの神様が「ス」の神様なのかな~?と思いました。
ところで「サムハラ神社の指輪がすごい」との評判があり、その指輪はとても強力な魔除けで有名なのだそうでした。
そして、たまたま翌日に柔道整復師会に用があったので、帰りに「サムハラ神社」にご参拝に行ってみることにしました。
そしたらなんと!境内に合気道場があったので、またまたびっくりしました。
わたしは「合気の神様」も「ス」の神様も、サムハラ神社の神様だったんだ、と思いました。
造化三神とは、アメノミナカヌシ、タカミムスビノカミ、カミムスビノカミの三柱にして一なる根源神です。
ここの神様は人間の願い事を持ち込むところではありませんので、ただただ謙虚に感謝をお祈りするのみです。
わたしは前日に知った「魔除けの指輪」が欲しくて社務所でおたずねしました。そしたら案の定、自分のサイズに合う指輪はありませんでした。
魔除けの指輪は自分のサイズに合うものでなければ効力を発揮しないらしいのです。そして指輪は職人さんの手作りなので、いつ入荷するかわからず、入荷待ちされる方が多数いらっしゃるため、なかなか手に入れることはできないそうなのでした。
その翌朝、不思議な体験をしました。わたしは神社から帰宅していつもどおりに寝たのですが、朝目覚める直前に「まだそのような物質(モノ)を必要とするのですか」という声(?)を聞いたのです。
ビックリして目覚め、「申し訳ございません!まだ物質に依存しておりました。深くおわび申し上げます」と、とっさに心の中でひれ伏してお詫びしたのでした。
人間の顕在意識がはたらいていない「目覚めの瞬間」は特に神様からのメッセージを受け取りやすいので、これは明らかにわたしの行動に対しての戒めのメッセージでした。神様はすべてを見ておられるのだということを改めて分からせていただきました。
そして、合気道の稽古の日に「合気の神様ってどんな神様かと思ったら、サムハラ神社に行くことになって、ご参拝して参りました」と先生に申し上げました。
すると先生は驚いて「開祖が「武産合気(たけむすあいき)」をサムハラと呼んでおられた」とおっしゃり、呪文のように「あめのむらくもくかみサムハラ龍王」と唱えられたので、「やっぱり!」と思いました。
先生からは開祖とサムハラの関わりをいろいろ教えてくださったのですが、当時のわたしには理解することができなかったので、いろいろシンクロがあったのだな~というくらいしか受け取れませんでした。
造化三神は根源神であり、艮の金神であり、「ス」の神であり・・・と様々な名称があるということを今になってわからせていただきました。
▲『日月神示』より。
それから数年後の去年、艮の金神「国之常立命様」と「大国主命様」が御神業師様を依代にされてこの国と日本人の堕落ぶりに対して大変激しいお怒りの言葉を聞かされたのでした。
わたしは神様の堪忍袋の緒を切らせてしまったことに心の底からお詫びし、これまでの自分の人生を悔い改めました。
わたしたち日本人は心底自分の言動を顧みて改めなければなりません!!!改心せよとはこのことです。
わたしは何も知らずに一連の体験をして参りましたが、下のリンク先様を拝読しましたら、全部わたし自身が体験体感したことが書かれてありました。
八千代市合気道連盟様のHP
わたしは一度目の合気道入門時は長編小説を書きましたが、二度目の合気道入門時には、短編小説を書いていました。
短編小説はすべて直観で書いたので、本を読んで知識を得て書いたのではありません。とても不思議なのですが、直観を得たときにはストーリーが全部できているのです。だから頭を抱えて考えることはないのです。
ただし、イメージを言語化する作業は必要なので言葉選びは考えることをします。ただ、ものすごく不思議なのですが、「これを書きなさい」と言わんばかりに思わぬところから文章が書いてある紙が出てきたりして「これだ!」というひらめきを得た文言を書くことをします。
例えば、短編小説「修羅の世界の先駆者」は、合気道の実体験と神様の御神示の文言を織り交ぜて書きました。
以前、ある書道家の先生からフォントをいただいたのですが、そのフォントをとある意味深い文章を見つけたのでそのまま文字変換した紙をしまっておいたのです。
その短編小説を書いている最中に、たまたまその紙が、「ぴらっ」と出てきたのです。それが神様の御神示『伊都能売神諭』だったのです。その文章を読んである文字が目に飛び込んできたのです。すると不思議なことにすらすら文脈ができあがり、気が付いたら最後まで書き上げていたのです。
「ああ、これを書きなさいということだったのですね。」と書き終わってから肚に落ちるという感覚なのでした。このように、書こうとする先から示されるので、自分の頭を使って書いたのではないのです。
短編小説「上海より愛をこめて」は、熊野三山がひらめいたことがきっかけで書き始めたものです。最後まで書いてみて後からわかったのが、神話の「神武東征」だったのでした。
書き終わってから気づかされたきっかけは「地名」でした。たまたまその土地に降り立ったとき、「ここは『孔舎衙坂の戦』の「孔舎衙くさか」じゃないの!?」と直観が来まして、導かれた感がものすごくあったことから、わたしが神武東征の古戦場で生まれ育ったのだと後に知ることになっていったのでした。
▲たまたま通った国道170号線沿いの飲食店の駐車場で「ここって、孔舎衙だったよね!?」と記憶のカギが開いた瞬間撮影した写真。
▲阪神高速水走出口を降りたところに石切神社があります。筆者が生まれ育った生駒山は「くさか山=日下山=ニギハヤヒ山」という別名があったのです。
それから石切神社の神様に呼ばれてご参拝したことから、今まで知らなかった神話や神界をはじめ、出口王仁三郎師と合気道開祖との関わりを知らされていったのです。
▲石切神社のにぎはやひの命様。石切は物部氏(穂積氏)の本拠。
導かれて体験してきたことのすべてがつながっていたのだとあらためて分かりました。わたしは宗教は一切知らないのですが、神道は宗教ではなく、宇宙のしくみなのだということがわかりました。
神道を宗教にしたのは、日本を戦争へと導いた国家神道です。そのため戦争を反対する大本教が弾圧されたのでした。神武天皇は皇道を日本国家に利用された神だったのではないかとわたしは感じます。(わたしは神武天皇がとても好きなのです。ベガ様を好きなように)
▲生駒山中にある「神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑」。紀元2600年記念行事(昭和15年)に設置された。ここで太陽に向かって攻めた神武天皇がナガスネヒコに敗れるのです。孔舎衙=「くさか」の地名を「孔舎衛=くさえ」に書き換えられていることに注目。地名を書き換えるのは、土地の記憶を消去したい後の権力者の意図が隠されています。つまりこの土地は神武天皇にひのもとの国譲りをした神ニギハヤヒの本拠地であったのです。孔舎衙=くさか=日下=ひのもと。
▲地元の方が守っておられる善根寺春日神社。こちらは正真正銘の「孔舎衙=くさか」坂。ここを上がれば神武天皇とナガスネヒコが戦った孔舎衙坂古戦場です。
▲神武天皇と戦った我が国最大の国賊にされているナガスネヒコの碑。太陽を背にして建てられていることがわかります。上の写真で太陽の光に照らされた碑に赤いハチマキをした人物の横顔が映っています。
▲ストⅢ3rdエンディングより。赤いハチマキはスメラミコトの称号の証。正統なる皇祖神ニギハヤヒの忠実な家臣ナガスネヒコ(アラハバキ族)こそ日輪様を背負いしもうひとつの正統なるスメラミコトの系譜なのであります。このことを洞察したあと、26年前にリュウさんを見て稲妻が落ちた理由がわかり、すがすがしい爽快感を感じたのでした。
▲亀ヶ岡遺跡出土「遮光器土偶」。この神こそ封印されしアラハバキ神なのであります。2017年に復活されました。
ともかく、わたしは技も知識もないままに合気道を体験させていただいておりましたが、人間の思考を超えた体験の連続でした。今はもう合気道の稽古に行っていません。先生がおっしゃっていた「武道因縁」はこれで解消されたのかもしれないなと思います。
今回合気道について学ばせていただいたのは八千代市合気道連盟様のHPでした。とても深めさせていただくことができました。ありがとうございました。
「自己紹介」を書かせていただきます。やっと書かせていただけるようになったのだなあ、と思います。自分のことが一番わからなかったからです。
いつも同じことを書きますが、1992年7月に弟が買ってきた初代スーファミ版ストⅡが家にやってきたことがこのブログを書くことになったすべてのきっかけでした。
▲ストリートファイターⅡより。
リュウさんのプロフィールを見て、脳天に衝撃が走ったのです。そして春麗さんとくっつけば真の格闘家になれると直感したのでした。
▲ストⅡ説明書より。
そして「いつか誰かがリュウさんの求める答えを小説か何か、本を書くだろう、それを自分は必ず読むはずだ」という魂の歓喜をともなった確信に近い直感を得ていたのです。
▲ストⅡ説明書より。
ストⅡシリーズは何作か遊びましたが、その後すっかりゲームをしなくなるも、相変わらずこの二人のキャラは接点なしか~二人はセットなのにな~と思っていました。
月日は流れ、今から11年くらい前のことです。
熊野本宮大社にご参拝したときになぜか突然涙が流れたのです。
▲熊野本宮大社(筆者撮影)
そのとき、リュウさんを主人公にして小説を書こうと決心しました。なぜか書きなさいといわれたような気がしたんです。
3年くらいかけて書いた長編小説はこちら。
11年たった今、11年前に自分の身に起きた現象の意味がやっとわかるようになったことがたくさんあります。
HPで暗号解読を書き進めていくうちに、熊野本宮大社と自分に関わることの点と点がつながって明確な線となって気づかされていったのです。
リュウさんの生きざまを書くということは、戦いの人生を書くということです。波動拳をはじめとする神通力を駆使する彼の人生を、どうして書けたのか今ならわかるような気がします。
小説では直観で「役行者(えんのぎょうじゃ)と空海の神通力を融合させたのが波動拳の原形」と書きましたが、この二人の超能力者は、筆者の生まれ育った生駒山で修行をしていたということが昨年わかりました。直観って、当たるものなんだな~と思いました。
直感を受信した熊野本宮大社は古より修験者をはじめとする求道者たちが目指す悟りの聖地です。熊野三山のなかでも、本宮は熊野古道、大峰奥駆道を難行苦行の修行の道としてたどり着く最終目的地なのです。
▲大峯奥駈道 吉野山金峯山寺から大峰山寺、玉置神社を経て本宮へ 役行者が開いた難行苦行の修行の道
熊野本宮大社は合気道開祖・植芝盛平翁と密接な関係がありました。(このことは去年はじめて知りました。)和歌山県田辺市出身の開祖は熊野本宮に百数十回もご参拝しておられたのです。
そもそも開祖は男の子に恵まれなかったご両親が男の子の誕生を熊野本宮に祈願して授かったのが植芝盛平翁でした。ゆえに開祖は「わしは本宮の申し子じゃ」とおっしゃっていたのでした。
▲【特集】世界遺産登録から3年 再発見、世界遺産「高野・熊野」
開祖は幼少時から武道を研鑽され数々の武勇伝を残されています。
最終的には勝負をするための武道ではなく「自分に向けられた攻撃を止めるための平和の術」として信仰と武道の精神を融合させた合気道を完成されました。
わたしは熊野本宮で小説を書くことを決心したものの、戦いの世界観を書くにはあまりにも知識がなかったので100冊ほど様々な書物を読みました。
その中で、リュウさんの師匠と弟子の修行風景を書くために合気道開祖とその高弟である塩田剛三師範の修行エピソードが書かれた本を長編小説に盛り込んで書きました。
その後なんと、「三年かけてでも良き師に出会いなさい」をモットーにしておられる78歳の合気道の先生に出会ったのです。驚くべきことに、その先生は開祖の直弟子であり、塩田剛三師範の後輩だったのです。先生の門人にピストルの弾を抜刀術で真っ二つにされるテレビにも出られた有名な居合の達人もいらっしゃいました。
先生は、素人のわたしに「あんたがこの町で合気道場を開いて指導者になりなさい」とおっしゃったものだからびっくりしました。丁重に辞退させていただいたのですが、先生は断固として「これは大先生(開祖)の思し召しなんや」とおっしゃったのです。
本当にびっくりしましたよ。でも、こういうことが本当にあるのです。
結局先生の熱意に圧倒されてわたしは地域の武道場を借りて合気道場開設・代表者になりました。先生はわたしに無試験で5級の免状を持ってこられました。そして袴をはきなさいと命じられました。素人のわたしは袴をはいて開祖の写真に向かって拝礼の号令係をつかまつりました。
それから不思議なのですが開祖からのメッセージを受け取るようになりました。開祖は武道にまつわることは一切語られず、ひたすらに世界平和についてのメッセージをお伝えされていました。
そのとき、なぜか開祖と一緒に五井先生も出てこられたのです。
わたしは五井先生を存じませんでしたが、開祖とともに世界平和にご尽力されておられるご様子でした。
わたしは当時何も知らなかったので、開祖と五井先生が生前肝胆相照らすご交流をされておられた仲だったとは今まで全く存じませんでした。
先生はわたしを指導者にするつもりだったらしく、進級試験を受けるように何度も稽古をつけてくださいましたが、わたしは合気道のお世話役と子供さんの稽古相手に徹する覚悟でお役目を引き受けましたので、昇級試験は受けませんでした。ゆえに生涯最下級です。
先生はわたしに武道関連本や古事記などの本、開祖のDVDを持ってこられて「勉強しておくように」とおっしゃいましたが、なぜか一切読みませんでした。武道家の方々が実践される滝行、座禅、瞑想なども一切やりませんでした。(過去世でさんざんやった感はあります)
当時のわたしはまったく無知でしたので開祖が神道(大本教)に造詣が深いことも知りませんでしたので、白黒の映像で開祖が祝詞を奏上する姿を拝見してもよくわかりませんでした。
先生はご自身が開祖に教わったように教えてくださいました。いつも手のひらの中心に「ス」の神様を意識するようにとおっしゃいました。「氣」の稽古が多かったです。
「ス」の神様のことを、当時知る由もありませんでしたが、昨年から神様に導かれるようになってからというもの、今は「ス」の神様のご存在をわからせていただけるようになりました。
それから門下生が20名くらいになったころ、稽古中に「これで終い!」と開祖の声(?)がしましたので、それをきっかけにお役割を終えさせていただいたのでした。
これで武道を卒業させていただけると思っていたのですが、それから6年後、再び別の合気道場に入門することになったのです。
そこは友人が稽古している道場で一年くらい前から来るよう何度も誘われていた道場でした。
そこの稽古は大変変わっていて、合気道の技をほとんどせず、指先一本から発する氣で相手を倒すことをやっていました。
この技は自我意識があったらできない技でした。「宇宙意識に到達していなければできません」と先生はおっしゃっていました。
無我でありながら、深い感謝の思いがなければ決して技を極めることはできず自己の内面が技として現れるものでした。わたしは先生の氣と同調すれば技を極めることができました。
ここの合気道の先生は「八段の有段者でもできない最難関の稽古をやっています」とおっしゃっていました。
なんとここの先生は五井先生の教えを実践しておられたのです。今から二年前、わたしは先生に五井先生の本をいただきました。わたしは以前合気道のお世話役をしていたころに、開祖とともに五井先生が世界平和のメッセージを送ってくださっていたことをこのときでさえ気づかずにいました。
そのことにやっと、わからせていただいた記事がこちらです。
五井昌久先生の著著「日本の心」では、『翁が開かれた合気の道は、全く平和の道であって、真の武とは、戈を止めるという文字の示す通り、戦争や争いを止める道なのである。植芝先生こそ、正に世界において、はじめて武の奥義に達した人というべく、昇天して私と共に平和運動に働かれることも、すでに神界において定められた道であったのだろう。』と述べられています。
わたしはこの一文を読んで、「ああ、あのとき開祖と五井先生はたしかにサポートしてくださっていた。なんとありがたかったことだろう・・・。」と深く感謝したのであります。
これらはすべて神様の神はかりだったのだなあ、と今ならわかります。
当時、合気道の稽古中にわたしは空間が小さな粒粒で満たされているという不可視の空間を視覚化する体験をしました。自分はとうとう頭までおかしくなってしまったのだろうかとショックで誰にも言えませんでした。脳の病気ではなかろうかと思うと怖かったのです。
けれどそれは脳の病変ではなく、すべては愛で満たされていて、空気でさえ愛だったと後になってから気付かされたのです。
同時に、今まで考えもしなかった「色即是空、空即是色、天上天下唯我独尊」の意味が理屈を超えてわかったのでした。
わたしは去年から「ストリートファイターシリーズ」に神様が隠されていたことに気付きはじめ、HPにその体験と気づきを書くようになりました。
神様はヒントは与えてくださいますが、答えは自ら出した後に示してくださいます。このあたりのことはHPに書きましたが、ストリートファイターシリーズに隠されていた『日月神示』に記されていた「五度の岩戸閉め」を洞察し、原因を突き止めることを知らず知らずのうちに実践してゆくことになっていったのです。
『日月神示』は大本教と関わりが深く、植芝盛平翁の信仰がここにあったことを、わたしはこの時初めて知りました。
結局、わたしがストⅡのリュウさんを見て落雷のごとく衝撃を受けたのは、26年後の未来のミッションを受け取っていたのかもしれないと今は思うのです。
「事実は小説よりも奇なり」というのは本当です。想像を超えた体験の連続ですが、これは本人にしかわかりえないことです。誰もが個々様々に体験されているように。
自分で答えを出した後、日本神界の神々様、封印されていたアラハバキの神々様、歴代天皇様と同時空間でご交流させていただく体験をしました。
わたしは霊感はありませんので、全く見えない触れない聞こえませんでしたが、御神業師様は「高次元の方々と周波数が著しく違うと、肉体や精神に何らかの不調和を起こすことがあります」とおっしゃいました。
わたしは全く変化がありませんでしたので「なんだ、神様ってもっとモワーッとかギラギラとかしているのかと思ったのに、何にも感じないんだ」と少し残念だったりしましたが、本当は常に密接に実在されておられたのです。わたしたち人間が神様をあまりにも切り離しすぎていたせいで感じることができなくなってしまっただけなのです。
高次元には神様以外にも天使や宇宙人などがたくさんご存在されておられます。どの御存在も人間をサポートしたくてずっとお待ちになっておられます。そして人間の波動が高次元の方々とご交流できる周波数まで上げなければ同調することができません。要するに人間の自我があったら高次元の方々とは同調できずお役割不可となってしまうのです。
『波動の法則』の足立育朗さんがおっしゃるには「役割をされる人間が非常に少ないのです。たくさんの高次元の方々が、役割をされる人間をお待ちになっておられます」とのことです。
HPやブログを書き始めた時にはまったく予想もしなかったことを、今こうして書いています。そもそも26年前にリュウさんを見た時に衝撃を受けた自分自身が基地外だと思っていましたから、わたしのことを基地外だと思ってくださってもかまいませんよ(笑)
いずれにしてもこういうことは、人に言えることではありません。こういう話は受け入れられないのは当然ですから。
けれど、世の中を見渡してみると、世界の動向はますますエゴの方向へ突っ走っていることは明らかです。一個人ができうることは自分のエゴを極力減らすこと、感謝を深めることです。自分の周波数をエゴに同調しないように、日々ポジティブでいることです。
著しく不調和に陥ってしまった日本人が自我意識から目覚めて地球を救うことをしなければ、大峠を越すことはできません。タイムリミットが迫っています。
人間が神々と一体となって、神々の手足となってこの三次元で役割を実践することが、宇宙の計画のようです。しかし人間は生まれたときから洗脳され続け、無知と自我と欲のために役割を忘れて記憶喪失になってしまいました。
気づいた人から自我意識を統合意識に変換し、身魂磨きをして神様に使っていただけるように努めなければならないのですが、このことをわかる人はとても少ないとのことです。
どこまで行っても「これでよい」ということはありません。気づけば気づくほど、謙虚になり感謝を深めてゆくのです。
わたしもこれからが本番だと感じています。次なるテーマは「和合」がキーワードです。これまでは個人レベルの意識変換でしたが、次は「家族との和合」の方法をお伝えすることができればと思っています。
今回もおめどおしいただき、まことにありがとうございました。
追記 このページを書いた直後、なんと御神業師様からメールが来ました。20年間にわたる壮大な神々のミッションが、ついに来春完了されるとのことです。前人未到のお役目の実践に心より深く感謝申し上げます。
みなさん、いつも訪れてくださってありがとうございます。
今回は久々にリュウ春ネタを書かせていただきますね。(≧▽≦)/
格闘ゲーム屈指の永遠の主人公・リュウさんと初代格ゲー界ヒロインの春麗さんがくっついたらほんわかするよね~。
という方々に特化した、ニッチなブログとしてスタートしたのでした。(ただし筆者はゲーム情弱)
おそらく、「リュウと春麗」と書いている時点で、筆者がストⅡ世代であろうことはおわかりかと思われます。ここに訪れてくださった方はストⅡ世代もしくはストⅤ世代?でしょうか。
なぜならヒロインは、シリーズごとに移り変わっているからです。
ストⅡは春麗さん。(キャミィちゃんはちょっとヒロインとは違うキャラかも)
ストZEROはさくらちゃん。
ストⅣは女性キャラ多数であるにもかかわらず、ストーリー上ではケンとイライザさんの物語が主流になっているから、イライザさんがヒロイン。
ストⅤは帰り咲いて春麗さん。
ストⅢは引退するも復帰して春麗さん。
▲ストⅤゼネラルストーリーより。
春麗さんのルックスは完璧なのですが、ふたつのおだんご頭は少女のシンボルです。
「女の子の定義」を議論したら炎上する時代となった今、ちょっと言いにくいですけど、おだんご頭が似合うのは、やっぱり25歳くらいまでの乙女かな~?と思います。どうかお怒りになりませぬようご勘弁を。m(__)m
25歳からはお肌の曲がり角っていうけれど、あれって理に適っているんですよ。
25歳まで見目麗しく華やいで、男たちをひきつけて結婚する。
そして25歳から充実してくるのが子宮です。女性の妊娠は25歳から30歳くらいまでがいちばん安定するそうです。
これはあくまでも自然界の摂理ですよ。
初代ヒロインの春麗さんが、数多く増えた女性キャラの中でいちばんお姉さんです。
アイドルの世界でも同じように、次から次と若い女の子が新キャラとして登場する中で、年増のヒロインというのはちょっと引け目を感じます。
そもそも父を探すために戦わざるを得ない事情を抱えて戦いの世界に参戦した紅一点の春麗さんに多くの男性は憐憫の情をひかれたのであります。
そんな彼女にはストⅡ時代から共に戦ってきた多くの理解者がいます。
彼女とずっと行動を共にしてきたのがガイル少佐。彼はアメリカ空軍としてベガ様を追い、春麗さんは行方不明者を探す機関であるICPOに所属して、失踪した父親を追っていました。利害関係が一致するこの二人は、ストⅡムービーからともにベガ様を追うミッションに携わるのです。
ストⅡ時代はベガ様を倒し逮捕するに至らなかったのですが、Ⅳを経てⅤでベガ様は復活します。けれどガイル&春麗コンビではまったく歯が立たない。
Ⅴでは数々のキャラたちが打倒ベガ様のために露払いの役目を果たし、真打のリュウさんが見事にベガ様を倒し、シャドルーは崩壊しました。
▲ストⅤゼネラルストーリーより。
やっぱり主人公がボスキャラを倒すという王道は鉄則でした。そしてヒロインを救出する。☜これがなくちゃあ、真のヒーローにはなれませんからね。
そしてヒロインは王子様と結婚してハッピーエンドでなくちゃいけません。これがヒロインの王道ですから。
わたしは今までHPを書いてきて気が付いたのですけど、歴史に残る創作物や世界中に広まった創作物は、必ずストーリーに神話が隠されている。
神話は1300年以上も人類の集合無意識に刻み込まれていて、物語の「型」になっているのです。だから神話をバックボーンにした物語には無意識に共感力がはたらくわけなのです。
人間はまったく自分とまったく関連性のない物語には引き付けられない。けれど王道を踏んでいれば共感力のある物語が成立するようになっている。
王道とは、問題を抱えた主人公がいかにして困難を克服していって答えを見つけるのか。主人公が対立と壁を乗り越えていかに成長していくのかという物語が鉄則であり、それが読者の共感を呼ぶのです。主人公は最初から完璧なヒーローじゃ共感力が湧かないのです。『ドラえもん』の出木杉君が主人公になれないのはそのためですね。
神話は二極性、対立、分離が織り込まれていて、この構造が人類の集合無意識に刷り込まれ、三次元世界を構成しているのです。
分離された主人公が、対立関係にある敵と戦い、二極性を統合するのが三次元世界を超えるために課せられた人類のテーマなのです。
リュウさんはそれを見事にⅤで見せてくださいました。ベガ様も、リュウさんに最期を見届けられたなら本望だったでしょう。だってベガ様にとってリュウさんはどうしても欲しい肉体だったわけですからね。
主人公はゴールに到達した時点で主人公の役目は終わるのです。彼のゴール(役目)は神人合一して真の格闘家になり、人類を救うことだったのでした。だから25年間も主人公として困難を克服し、答えを探して旅していたのですね。
▲ストⅤゼネラルストーリーより。
春麗さんにとってのゴールはベガ様とシャドルーから平和を取り戻すこと。もう家族が離れ離れになるような悲しい思いは誰にもさせたくないというのが彼女の願い。
シャドルーが崩壊した後、戦いの世界から引退し、刑事を辞めて普通の女の子に戻ります。
Ⅲ、Ⅲ2ndのエンディングでは温泉に入ってリュウさんを応援している様子から、春麗さんはリュウさんと一緒に行動しているの?と妄想を超えた設定になっています。それって、大切な人とはもう離れ離れになりたくないという春麗さんの思いが顕れているような気がします。
こういう粋な計らいになごむよね~。リュウさんだって春麗さんの応援があったらがぜん頑張っちゃうはず。
▲ストⅢ2ndより。
ケンはⅡで結婚、Ⅳで子供を授かり、Ⅴで子連れ、Ⅲで師匠になっていきますから、リュウさんだって人生の段階を踏んでいくはずですよ。
リュウさんにも新婚生活を体験させてあげたいな~。彼の場合、ささいなことでも感動の連続だよ。鬼のような暑苦しい師匠らとのサバイバルな共同生活とは異次元レベルですからね。
▲ストⅡ春麗さん。
春麗さんとの新婚生活かあ・・・。どんなんだろな~。あんなにかわいい女の子が家でごはんを作って待っててくれるなんて、想像するだけで泣きそうなレベルだよ? これはちょっと小説にも書けないな~。喜びとときめきが異次元すぎて。。。
リュウさん突き抜けちゃってキャラ崩壊しそう。春麗さんが好きすぎてどうにもならないリュウさんとか。もしくは彼の場合、愛情表現の仕方が分からなくてひとりで悶々としていたりしてね(笑)それが萌えどころでもあるのですけど。
この頃は脳内がすっかり「リュウさん➡春麗さん」の構図になってしまっています。春麗さんはリュウさんの愛と独占欲の強さにたじたじになっているんです。妄想ですよ。
台所に立っている春麗さんをうしろから抱きしめたくてたまらないリュウさんとか、
春麗さんを喜ばせたくてたまらないのだけれども、何をしたらいいのかわからなくてケンにこっそり教えてもらっているリュウさんとか。
▲ストZEROより。
「プレゼントするのがいいぞ」ってケンにアドバイスしてもらったのだけれど、女子の好みが分からないもんだから店員さんとかに聞いてプレゼントを買ったりするリュウさんの照れっぷりがハンパなく可愛くてたまらんな~(*´Д`)とか思います。
だからリュウさんはⅢでは主人公じゃないんだな~と勝手に納得してしまっています。いいよねえ、格闘家としてじゃない普通の男性としてのリュウさんも。
▲ストⅢ3rdより。
追記:なぜこんなことを書いてきたのかといいますと、
戦いに明け暮れてきた求道者のリュウさんがたどり着いた世界は、真なる喜びと安らぎの世界、つまり「愛」だった。
それはすなわち、戦争に明け暮れてきたこれまでの地球で、世界平和を実現させ戦いを終わらせることが全人類と神々の願いであり、
それを実現するためには、かつて大調和が実現していた頃(縄文)の記憶を取り戻して実践行動することが日本人の役割だから。
それが「日本魂を一手に担うキャラ」として生み出され、「新たなる王道を示すこと」がリュウさんに託された使命だからです。
マクロはミクロ。ミクロはマクロ。世界を平和にするためには、まず自分自身の戦いを終わらせること。次に結婚して和合をなすこと。そして家族の和合をはかること。これは全人類共通の魂の因縁解消の根本原理だからです。
だからリュウさんの次なるテーマは結婚なんじゃないかなと思っているのですよ。春麗さんのウェディングドレス開示はその暗示かもしれませんね。(*^-^*)
今回も読んでいただいてありがとうございました。
さて、ここ数日間に大変な気づきがありまして、ブログをどのように書かせていただいたらよいのかわからず、手つかずにおりました。
今日、ふと「自己紹介」というキーワードがひらめきまして、そういえば、まだ書いていなかったな~と思ったのでした。
実は、このブログをはじめて一年半、HPは二年二か月たちますが、自己紹介については「まだ書かなくてもよい」と感じていたのでずっと書かずに来ておりました。
そもそも、ブログを立ち上げるまで筆者は「名無し」(女)でありました。
ブログを立ち上げたとき、さすがに名前がないのは不便だろうと思い、ひらめいたのが「そま」でした。
実はこの名前(ペンネーム)にはとても深い意味が込められているのです。名前の由来についてはまた必要があれば書くことになろうかと思います。
さて、ここ数日間に得た気づきというのは一体何か。
このブログだけでなく筆者のHPをご覧になってくださった方でなければよくわからないことかもしれません。
いいえ、自分自身でさえ今までずっとわからなかったのです。自分のことが一番わからない。そのことをつくづく感じ入ったときに、ハッとわかってしまったのです。
HPはなぜあのような記事を書くようになったのか、本当にわからなかったのです。
振り返ってみてわかるしくみなのでしょうか。
一言でいえば、「すべて見られていて、すべて試されていた」ということです。
そして「自力で答えを出した時に、答えを示される」のでした。
さかのぼれば1992年にストⅡのリュウさんを初めて見たときがそもそものきっかけでしたが、そこからすべてがつながっていて、多次元レベルに及んでいたということです。
見える、聞こえる、触れる・・・といった五感はごくごく狭い周波数領域です。
その領域外のほうがはるかに広く深く、ミクロからマクロまで無限にあるのです。
見えない聞こえない領域があるのだということを受け入れさえすれば、いままで感知できなかった不可視的情報、高次領域をキャッチすることができるのです。
ただし、自我をなくして空っぽにしていれば、です。
では、ここ数日間で得た気づきとは何だったのか。
それは、今の今まで武道の神様と人類指導者の御霊に導いてくださっていたということ。
武道の神様は鹿島・香取の神様。鹿島は武甕槌命(タケミカヅチ)・香取は経津主命(フツヌシ)。
武道の神様は地震と雷の神様でもありますが、この二柱の神様の正体(分霊)は、戦わない神様・饒速日命(ニギハヤヒ)です。わたしにはそう感じます。
そして、人類指導者の御霊とは、
宗教家の五井昌久先生。
東洋思想家の安岡正篤先生。
三次元で肉体を持っておられた御三方は、実際にご交流があったことを数日前に知らされたのです。
わたしはその日の午前中、たまたま合気道の先生にいただいた五井先生の本を手に取っていまして、安岡先生のことが書かれていたことに気付かされたのです。
そしてその日の夕方に芝桜を植えていたのです。
芝を植える。植芝・・・(゚д゚)ハッ!
まさか、植芝先生と五井先生と安岡先生が大変親しくされていたなんて。。。
今の今までまったく存じませんでした。
けれどやっとわからせていただいたので、まずは、人類指導者であられた先達の開かれた境地が求道者の武道家であるリュウさんの求めていた答えになるのではないかと思い、記させていただきます。
以下、転載させていただきました。
<植芝先生と五井先生の出会い>
植芝先生と五井先生が初めて対面されたのは、昭和32年10月のことです。
五井先生は、火野葦平が書いた「王者の座」と言う小説や「合気道」という本を読まれ、その中にある植芝先生の述懐などで、植芝先生の悟りの境地を理解され、会いたいと思っておられました。
五井先生のお弟子の高橋英雄氏は、著「武産合気(たけむすあいき)」のなかで「五井先生みずからお会いしたい、と思われる人物は滅多にいない。私の知る範囲では、今迄に植芝先生だけだったと思う。」と書いておられます。
また、植芝先生は五井先生に実際にお会いする1ヶ月も前から、自分の会いたい人から迎えがくると仰っていたというエピソードもあります。
こうしてお二人は、五井先生の講演会場となっていた神田神保町区民館で初めて対面されたのです。
この時のことを、五井先生は『こうした神はかりによって、植芝先生と私が対面したのでありますが、「やあ、いらっしゃいませ」「やあ、今日は」といわぬ先から、二つの心は一つに結ばれて、私は植芝先生という人格、否、神格がすっかりわかってしまったし、植芝先生も、私のすべてがおわかりになったようでありました。 ・・・(省略)・・・
植芝翁は確かに神の化身であります。その神の化身は非常に謙遜があって、肉体身としては、自分の子供にも等しい無名の宗教者のところへ、ご自分のほうからお出掛け下さって、「これからは先生の働き時、私はお手伝いになりましょう」といわれるのですから、ますますそのお心が輝くのです。』と書いておられます。
また、上述「武産合気(たけむすあいき)」の中で高橋英雄氏は、その時の様子を『植芝先生はその時二時間ぐらい歓談されていたが、五井先生に「私は先生と会う日を待っていたのです。私のあとを完成してくれる人が必ずいる筈だ、とさがしていたのです。私は神の道をひらく役目で、その後は先生にやっていただくのですから、よろしく頼みます」とおっしゃっていた』と書いています。
また、この時、五井先生が「私は宇宙です」と申されると、植芝先生も「私も宇宙です」と答えられたと、なにかの本に書いてありましたが、不世出の霊覚者お二人の想像を絶する心境の高さを示すエピソードとして、私のなかでは非常に印象に残っています。
この初対面以来、昭和44年に植芝先生が亡くなられるまで、肝胆相照らすお二人の交流は続くことになります。
上述の「武産合気」によると植芝先生は五井先生について
『「わしの正体を見破ったのは、五井先生お一人じゃ』と武道家的表現を使ったり、「わしをほんとうにわかってくれたのは五井先生だけじゃ」と、うれしそうに話してくださるのだった。』とあります。
また、五井先生は植芝先生について
『植芝先生は、武道修行の極致から、霊覚を得られた方であって、私との初対面から「五井先生は祈りのご本尊であり、中心の神の現れである」といわれ、私が植芝先生を上座に据えるのを、自ら下座に坐られ、若輩の私に上座をすすめられたものであった。真理に徹しておられぬとなかなかそういうことをできるものではない。
植芝先生の肉体というのは、普通人の肉体ではなく、神霊そのものの体であって、宇宙の根源に統一できる体であった。だから、八方から槍で囲んで、同時に打ってかかっても、打ってかかったほうが、まるでわざと倒れるような格好で、一度に倒れてしまい、当の植芝先生は、小ゆるぎもみえぬそのままの状態で立っておられる。その状態はもう技というのではなくて、翁の肉体が透明になり切り、宇宙大に拡がってしまっている状態なのである。そういう真の姿を知っているのは私だけかもしれない。」と述べられています。
<五井先生が語られる合気道>
五井先生の弟子であり、植芝先生の合気道の弟子でもあった高橋英雄氏の著「武産合気(たけむすあいき)」の中で、五井先生は植芝先生の合気道について
『この日の植芝先生の話や、合気道についての本から得た感じでは、合気道という武道の一種と見られる道は、空を行ずることが根幹であり、そこから生まれる自由無礙の動きであり、大調和、愛気の動きである、と思ったのです。空を行ずるという言葉をいいかえれば、自我の想念を無くするということであります。
植芝盛平翁は、この真理を、身をもって語り、身をもって実際に行じておられるのですから、私が偉大な人と思い、お会いしたいという気になったのです。』と語られ、
また、自著「日本の心」では、『翁が開かれた合気の道は、全く平和の道であって、真の武とは、戈を止めるという文字の示す通り、戦争や争いを止める道なのである。植芝先生こそ、正に世界において、はじめて武の奥義に達した人というべく、昇天して私と共に平和運動に働かれることも、すでに神界において定められた道であったのだろう。』と述べられています。
<植芝先生が語られる合気道>
植芝先生はご自分の合気道について、前述「武産合気(たけむすあいき)」の中で、『「相手の目をみてはいけない。目に心を吸収されてしまうからです。相手の剣を見てはいけない。剣に気が把われてしまうからです。相手を見てはいけない。相手の気を吸収してしまうからです。真の武とは相手の全貌を吸収してしまう引力の練磨です。だから、わたしはこのまま立っとればいいんじゃ。」(省略)
「私はうしろむきに立っていればいいのです。相手が打ってくれば、打とうという自分の想いで、自分自身を打ってしまい傷つけてしまうのです。私は宇宙と一つなのです。私には何物もない。立てば相手は吸収されてしまうのです。植芝の合気道には時間もない空間もない、宇宙そのままがあるだけなのです。これを勝速日といいます。」』と仰っておられます。
<植芝先生が語られる合気道>
「武産合気(たけむすあいき)」によれば植芝先生は、自分の合気道について『「植芝の合気道には敵がないのです。相手があり敵があって、それより強くなりそれを倒すのが武道であると思ったら違います。
真の武道には相手もない、敵もない。真の武道とは、宇宙そのものと一つになることなのです。宇宙に帰一することなのです。合気道においては、強くなろう、相手を倒してやろうと練磨するのではなく、世界人類の平和のため、少しでもお役に立とうと、自己を宇宙の中心に帰一しようとする心が必要なのです。合気道とは、各人に与えられた天命を完成させてあげる羅針盤であり、和合の道であり愛の道なのです」 (省略)
「植芝の武産合気は、この木刀一振にも宇宙の妙精を悉く吸収するのです。この一剣に過去も現在も未来もすべて吸収されてしまうのです。宇宙も吸収されているのです。時間空間がないのです。億万劫の昔より発生した生命が、この一剣に生々と生きているのです。古代に生きていた私も生きていれば、現在の私もいる。永遠の生命が脈々と躍動しているのです。
合気道は至忠至孝の道であり、この世の経綸の業であります。即ち地上天国に向かい、国完成への大御神ご神業の主体たる、人としての分身分業のつとめであります。・・・(省略)・・・』と語られ、
また、五井先生の著書「日本の心」では、『植芝翁の言葉をそのままお伝えすると、「合気とは、敵と闘い、敵を破る術ではない。世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である。合気道の極意は、己を宇宙の動きと調和させ、己を宇宙そのものと一致させることにある。合気道の極意を会得した者は、宇宙がその腹中にあり、「我は即ち宇宙」なのである。私はこのことを、武を通じて悟った。
いかなる速技で、敵がおそいかかっても、私は敗れない。それは、私の技が、敵の技より速いからではない。これは、速い、おそいの問題ではない。はじめから勝負がついているのだ。
敵が、「宇宙そのものである私」とあらそおうとすることは、宇宙との調和を破ろうとしているのだ。すなわち、私と争おうという気持ちをおこした瞬間に、敵はすでにやぶれているのだ。そこには、速いとか、おそいとかいう、時の長さが全然存在しないのだ。
合気道は、無抵抗主義である。無抵抗なるが故に、はじめから勝っているのだ。邪気ある人間、争う心のある人間は、はじめから負けているのである。ではいかにしたら、己の邪気をはらい、心を清くして、宇宙森羅万象の活動と調和することができるか?
それには、まず神の心を己の心とすることだ。それは上下四方、古往今来、宇宙のすみずみまでにおよぶ、偉大なる「愛」である。・・・(省略)
・・・真の武はいかなる場合にも絶対不敗である。即ち絶対不敗とは絶対に何ものとも争わぬことである。勝つとは己の心の中の「争う心」にうちかつことである。あたえられた自己の使命をなしとげることである。
しかし、いかにその理論をむずかしく説いても、それを実行しなければ、その人はただの人間にすぎない。合気道は、これを実行してはじめて偉大な力が加わり、大自然そのものに一致することができるのである。」』と、書かれています。
<植芝先生の神我一体>
五井先生の著「日本の心」の中に、植芝先生が神我一体を体験された時のことが書かれています。
『たしか、大正十四年の春だったと思う。私が一人で庭を散歩していると、突然天地が動揺して、大地から黄金の気がふきあがり、私の身体をつつむと共に、私自身も黄金体と化したような感じがした。それと同時に、心身共に軽くなり、小鳥のささやきの意味もわかり、この宇宙を創造された神の心が、はっきり理解できるようになった。その瞬間私は、「武道の根源は、神の愛(万有愛護の精神)である」と悟り得て、法悦の涙がとめどなく頬を流れた。
その時以来、私は、この地球全体が我が家、日月星辰はことごとく我がものと感じるようになり、眼前の地位や、名誉や財宝は勿論、強くなろうという執着も一切なくなった。 ・・・( 省 略 )・・・
夜、一時二時頃、庭に降りたち、自分は剣をもって立った。ところが不思議に、一人の幽体、白いものがパッと現れた。白い者も剣をもって私に向い立つ。こうして剣の修業がはじまった。
そしてターッと打ってゆこうとすると、その瞬間にパッと相手が入ってくる。相手の剣が自分の腹先にパッと入ってくる。少しも油断は出来ない。はじめは私の動作はおそかったが、修業しているうちに、幽体の相手が入ってくる瞬間に、相手の木剣を下へ切り落とした。すると白い相手は消えてしまった。
なお三日間ぐらい続行しているうちに、相手をぐっとにらむと剣が消えてしまった。
その時、自分を眺めると姿がない。ただ霊身だろうと思うが、一つの光の姿がある。あたりは光の雲でいっぱいである。といって自分の意識はある。木剣を持っている気持ちもある、が木剣はない。ただ一つの呼吸のみがある。これが二週間つづいた。
新たに、日をおいて立つと、木剣も自分も光の雲もなく、宇宙一杯に自分が残っているように感じた。その時は白光の気もなく、自分の呼吸によって、すべて宇宙の極が支配され、宇宙が腹中へ入っていた。
これが宗教の奥義であると知り、武道の奥義も宗教と一つなのであると知って、法悦の涙にむせんで泣いた。
山川草木、食獣虫魚類にいたるまで、すべて大宇宙の一元の営みの現れである、と大神さまに敬けんな感謝が心からわいて、泣けてしまったのである』と、植芝先生は神我一体の時の体験を述べられています。
<五井先生の神我一体>
五井先生も、ご自身の神我一体の体験を「日本の心」の中で書いておられます。
『自然はなんて、美しいのだろう。私は自然の美しさの中に半ば融けこみながら、世の中から病苦を除き、貧苦を除かなければ、この美しさの中に全心を融けこませるわけにはゆかないのだなあ、と自分の責任ででもあるような痛い声を心のどこかできいていた。
私はその声に応えるように、「神様、どうぞ私のいのちを神様のおしごとにおつかい下さい」と、いつもの祈りを強くくりかえしながら歩いた。そのまま向岸へ渡る舟着場まで来て、土手を下りようとした瞬間「お前のいのちは神が貰った。覚悟はよいか」と電撃のような声がひびき渡った。
その声は頭の中での声でも、心の中の声でもなく、全く天からきた、意味をもったひびき、即ち天声であったのだ。それは確かに声であり、言葉である。しかし、後日毎朝毎晩きかされた人声と等しきひびきの霊言ではなかった。私はそのひびきに一瞬の間隙もなく「はい」と心で応えた。
この時を境に私のすべては神のものとなり、個人の五井昌久、個我の五井昌久は消滅し去ったのである。しかし事態が表面に現れたのはかなり時日が経ってからであった。』
五井先生はご著書「日本の心」の中で、神我一体となられた時の様子を次のように書かれています。
『「私は例の如く就寝前の瞑想に入った。想念停止の練習により、私は直ちに統一することが出来る。その夜統一したと思うと、吸う息がなくなり、吐く息のみがつづいた。すると眼の前に天迄もつづいているかと思える水晶のように澄みきった太く円い柱が現われ、私は吐く息にのり、その太柱を伝わって上昇しはじめた。< 中 略 >
七つ目の金色に輝やく霊界をぬけ出た時は、全くの光明燦然、あらゆる色を綜合して純化した光明とでもいうような光の中に、金色に輝く椅子に腰掛け、昔の公卿の被っていたと思われる紫色の冠をかぶった私がいた。“あっ”と思う間もなく、私の意識はその中に合体してしまった。合体した私は静かに立ち上がる。確かにそこは神界である。様々な神々が去来するのが見える。 < 中 略 >
天の私(真我)に地の私が合体して停っているこの現実。霊的神我一体観が遂に写実的神我一体として私の自意識が今確認しているのである。
想念停止の練習時にはもう少し上に(奥に)もう一段上に自己の本体がある、と直感しながら今迄合体出来なかったその本体に、その時正しく合体したのである。吾がうちなる光が、すべての障害を消滅せしめて大なる発光をしたのである。
その時以来、私は光そのものとしての自己を観じ、私の内部の光を放射することによって、悩める者を救い、病める者を癒しているのである。
天とは人間の奥深い内部であり、神我とは内奥の無我の光そのものであることを、はっきり認識した。 ・・・・( 省 略 )・・・ 」
「瞑想してやや暫くした時、眼の前がにわかにただならぬ光明に輝いてきた。私は想念を動かさず、ひらすらその光明をみつめている。すると、前方はるか上方より、仏像そのままの釈尊が純白の蓮華台に結跏趺坐されて降って来られ、私のほうに両手を出された。私も思わず、両手を差し出すと、如意宝珠かと思われる金色の珠を私の掌に乗せて下さった。
私は思わず押しいただき、霊体の懐に収めた。その後、現象界でいう、おさかきのような葉を五枚下さって、そのまま光明燦然と消えてゆかれた。私は暫く釈尊をお見送りする気持ちで瞑想をつづけていると、今度は、やはり光り輝く中から、金色の十字架を背負ったイエス・キリストが現われたとみるまに、私の体中に真向うから突入して来て消えた。
その時、“汝はキリストと同体なり”という声が、烈しく耳に残った。私のその朝の瞑想は、その声を耳底に残したまま終わってしまった。
私は深い感動というより、痛い程の使命感を胸底深く感じていた。そのことが単なる幻想でないことを、私の魂がはっきり知っていた。“汝は今日より自由自在なり、天命を完うすべし”という内奥の声を、はっきり聴いていたからである。
私は直覚的にすべてを知り得る者、霊覚者となっていたのである。
私はその日から表面は全く昔の私、つまり、霊魂問題に夢中にならなかった以前の私に還っていた。私はすべてを私自身の頭で考え、私自身の言葉で語り、私自身の手足で動き私自身の微笑で人にむき合った。私の眼はもはや宙をみつめることもなく、私の表情は柔和に自由に心の動きを表現した。
私はもはや神を呼ぶことをしなかった。人に押しつけがましく信仰の話をしなくなった。父母にも兄夫婦にも弟にも、昔の五井昌久が甦ってみえた。柔かな、思いやり深い、気楽で明るい息子が冗談をいいながら、老父の脚をさすり、老母の肩をもみほぐす毎夜がつづいた。」ということになったのであります。』
五井先生はご著書「日本の心」の中で、
『植芝先生は、力による武道から、遂に神我一体の境地を経て、宗教道と全く一つである合気武道を創設されたのであり、私は、はじめから自己の弱小を悟って、すべてを神に任ね、そこから神我一体の境地に至り、神様の器になり切ったのであります。
修業の道は全く異なった形をとりながら、行きついたところは、全く一つの境地であったことが、植芝先生と私を今日の結ばれにもっていったのでありましょう。』と書かれています。
五井先生が植芝先生を讃えられた詩をご紹介します。
神 の 化 身
― 植芝盛平翁を讃う ―
其の人は確かに神の化身だ
其の人は肉体そのまま宇宙になりきり
自己に対する相手をもたぬ
宇宙と一体の自分に敵はない
其の人は当然のようにそう云い放つ
五尺の小身
八十路に近い肉体
だがその人は宇宙一杯にひろがっている自分をはっきり知っている
如何なる大兵の敵も
どのような多数の相手も
そのまま空になりきっている
其の人を倒す事は出来ない
空はそのまま天御中主
天御中主に融けきったところから
その人は守護神そのままの力を出だす
この人の力はすでにすべての武を超えた
大愛の大気のはたらき
鋭い眼光と慈悲のまなざし
その二つのはたらきが一つに調和し
その人の人格となって人々の胸を打つ
その人は正に神の化身
大愛絶対者の御使人
私はその人の偉大さを心に沁みて知っている
<安岡正篤先生と五井先生のご交流>
東洋思想家の安岡正篤(まさひろ)先生は五井先生を「霊覚のある、しかも法力のある無欲な宗教家の第一人者は五井先生でしょう」と評されていました。
「五井先生は自然である。宗教家にありがちな臭みがない。尊大ぶったところがない。巧(たく)んだり構えたりするところがない。実に自然である。だからお話をしていてもとても気持がいい」(「白光真宏会ホームページ」より)
以下、五井先生について引用させていただきました。
「謙虚になって、皆に尽くさなきゃならない。本当に謙虚であれ」
と五井先生は語っています。
「何の不安も無いか、何の高慢なものも無いか、何の妬(ねた)みの心も無いか、そういうものがあるかないかをよーく自分で把握しなきゃだめ」
「謙虚に、謙虚に、肉体の身を全部見直して、心の隅から隅から考えても、ちっとも不安が無いか、何の不安も無いか、何の高慢なものも無いか、何の妬(ねた)みの心も無いか、そういうものがあるかないかをよーく自分で把握しなきゃだめ。自分の心を断ち切って、探って探って、果たしてあるか、ないか。
あってもいいんだ。あったっていい。全部なくなりっこないから。あったら
『ああ、神様勘弁してください。神様の心が自分に入っているのに、まだ神様まで到達できない。ごめんなさい』って言いながら、世界人類が平和でありますように、どうか私が立派な人間になりますようにって、やらなきゃだめですよ」(動画「五井先生の珍しいお叱り1」より)
五井昌久は、
「内観・瞑想」
の大切さを次のように説いている。以下、要約。
「内観瞑想によって、この肉体身と肉体想念の不浄さ不完全さに気づき、肉体の自己の想念意識から離れて、本心すなわち、
〈直霊・真我〉
を黙想して悟りを得よ」
直霊・真我とは、良知のことである。
■自らの情けなさを思い知るからこそ、心底謙虚な人間になりたいと思うし、少なくともその瞬間は謙虚な気持ちになれるのである
以上。
わたしはこのような境地に到達された偉大な先達からのサポートをいただいてきたことに、やっと気づかせていただいたのです。ただただ深い感謝です・・・それ以外にありません。
長文のおめどおしをいただきまして、まことにありがとうございました。
次は実体験を書かせていただきます。↓
リュウさんの求め続けた「真の強さ」とは?実体験を通して教えてくれた武道の神様の答え(2)
下はHPです。