すべてはエロにはじまりエロに終わる その5
前回のつづきだよ。
すべてはエロにはじまり、エロに終わる。 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
すべてはエロにはじまりエロに終わる その2 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
すべてはエロにはじまりエロに終わる その3 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
すべてはエロにはじまりエロに終わる その4 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
18金小説を書きなさいと直観を受け取りまして、数々のシンクロの波に乗り、天津神(あまつかみ)の住まう高天原にまで導かれたことはすでに書きました。
実は続きがあります。小説のネタバレになってしまうので書かなかったのですが。
「愛させていただくということはどういうことなのか」というテーマを受け取りまして小説に書いたのがHP掲載の18禁小説・続編でした。
高天原見学旅行(仮名)では、女性として生まれたからには生涯をともに生きると決めた男性に対して「愛し抜きなさい」と教えられたのです。
「愛し抜く」・・・何と美しい言葉・・・。そしてなんと重厚な言葉・・・。
肉体を持たされているうちは、そしてその肉体が女性として機能しているうちは、男性を愛し抜きなさいと。
そうすることにより、若返るのだと。
エロスの神はダイレクトに伝えてくださいました。<(_ _)>
自らを捧げる。自我を捨て去れば、何ら難しいことのないこと。けれど人は、いつの間にか与えることを惜しみ、受け取ることを当然と思うようになった。
愛を惜しまない。
そして男性にとっての「愛し抜く」とはどういうことだろうと考えた。
これは自分の考えではあるが、「守り抜く」ということなのかもしれない。守るものは多岐にわたる。守るものが多いほどエネルギーを必要とする。
そのエネルギーを与えるのが女性の役割であるのだろう。「愛し抜く」という方法で。
カタカムナか何かの本に、男性は宇宙から直接エネルギーを受け取ることができないから、女性を抱くことによって電子を受け取ってエネルギーをもらうのだと書いてあったのを思い出した。
「愛する」ということを映画や小説にすれば美しく胸を打つ。けれどそれを自分が実践できたら、人間でありながらマリア様になれると思う。観音様になれると思う。
愛はサポートさせていただくということ。
それは男女に限らず、誰に対しても応用できること。こうしてあげたいな、と思ったら、率直に実行することが愛だと言えるのだと思う。
お年寄りに席を譲ったり、落ち込んでいる人に「大丈夫だよ!ドンマイ!」って励ましてあげたり、見知らぬ小さな子が泣いていたら「どうしたの?」って声をかけてあげたり。
そういうことがごく自然にできることが愛なんだな~と思う。他人さまには比較的実践しやすいと思う。
けれども家族というのは離れられないが故の学びがある。
年老いた親(義理の親)に対して惜しみない愛を与え続ける。だんだん当たり前のことができなくなっていく親をいたわる。自我を捨て去って介護する。それができたら、神になれると思う。
そのレベルにまだまだ達していないことを思い知るけれど、知らされたということは、実践すればそのレベルに至れるということ。
けれども、知らされたのに実践せずにいたら、きっと後悔すると思う。肉体を持たされているうちしか、実践できないのだから。
★あれこれ考えていたら、また書きたいことを思いついてしまった~!
すべてはエロにはじまりエロに終わる その4
前回のつづきだよ。
すべてはエロにはじまり、エロに終わる。 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
すべてはエロにはじまりエロに終わる その2 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
すべてはエロにはじまりエロに終わる その3 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
すべてはエロにはじまりエロに終わる その4 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
すべてはエロにはじまりエロに終わる その5 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
エロスについて続けて書くことになるとは、思いもよりませんでした。
だって、世間ではタブーとされているからです。
けれども、タブーとされていることの中に、本質が隠されているのです。
恋は奪うもの、愛は与えるもの。
若いうちは、どんどん恋したらいいと思います。恋して失恋して学んでいく。
ZEROとかⅡの時代ならば、恋でもいい。恋でもいいから二人の絡みが見たいわけで。
ZERO時代はストレスがなくていい。若いふたりが恋心を抱くだけでも萌えてしまえるから。なにしろ、パラレルワールドという位置づけが、創作の自由が許されている。
ところがⅡ時代となると、ふたりに接点がないという事態に陥ってしまう。
この時代のふたりは恋愛よりも、人生の目的にいちばんまっしぐらな時代。春麗ちゃんも23歳くらいで、まだ将来のことまで考えなくてもいい時期だった。
でもこの時期のふたりの関係って、接点がないものだから、ふたりを絡めようがない。
なんせ、リュウさんが春麗ちゃんのことを知らないっていう設定が悲しすぎる。
あえて春麗ちゃん⇒リュウさんの構図にしてもやきもきして不完全燃焼に陥ってしまう。そんな理由でⅡ時代の創作はスルーしてきました。
Ⅳ時代はケンがイライザさんと超イイ感じでラブラブなのに対し、リュウさんはひとりズタボロ・・・。この路線でいけばきっと豪鬼化して帰らぬ人になっちゃうだろうとさえ思っていました。
でも、Ⅴのゼネストはふたりの握手のシーンの演出も素晴らしく、最高レベルの出会い方だった。
それだけでなくラストに春麗さんとリーフェンちゃんを包み込んだリュウさんの波動拳の素晴らしさに、圧巻。とても感動させてもらえました。
あ・の!リュウさんが、あのような波動拳を放つだなんて・・・。こりゃあ、大変だ~!「愛だよ、愛!!」と脳内が騒ぎ出し、第一作目の小説を書いたのでした。
彼は有言実行、剛毅朴訥で求道者たる風格を備えた超一流の格闘家だった。
これ以上カッコいい主人公はいない!!!
「ああ、カプコンさんは、このシーンをずっと温めてこられたんだなあ、リュウさんがベガ様を倒して、なおかつ春麗ちゃんを守ってあげるというシチュエーションを、25年間もの歳月をかけて最高の映像美で表現されたんだなあ・・・」
としみじみ感じていたんです。
さあ、これからが本題ですよ。
それから先の展開がどうなりますか。リュウさんと春麗ちゃんがせっかく出会い、ベガ様を倒し、素晴らしいシチュエーションで山場を切り抜けたのですから、「じゃあ、さよならっ」ってな軽い別れでまた平行線をたどるわけデスか?(ファン調で)
春麗ちゃんだって結婚を考えるお年頃だし、リュウさんだっていつまでも根無し草じゃねえ。
ちゃんとした二人を公式で位置づけてあげなきゃ、カッコいいはずのリュウさんがそうでなくなっちゃう。
まさか、あのシチュエーションで、春麗ちゃんが普通の女の子になってほかの男とつきあうってのはゼッタイありえないでしょ!?
だから公式パッケージでHOTなふたりをイラスト化されたのでしょうね。
カプコンさんの彼らに対する愛の証ではないでしょうか。
さて、ここでエロスについて戻ってみます。
HPでは、「暗号解読」を書いています。
これ、小説と表裏一体でして、創作するうえで重要な直観と不可視的情報エネルギーを読み取って、小説に表現するスタイルにしています。
暗号の解読はレベル1から筆者の周波数変換レベルに応じて段階的に上がってゆき、レベルが上がるにつれて、情報エネルギー量および、周波数レベルが上がっていきます。
自分でも何でこんなこと書いてるんだろう、と思うのですが、三次元で明確に示唆されてしまうので、書いています。
とんだ異端なサイトです。なじめない方はスルーでお願いします。
レベル9まで書いてみて、18禁小説を書かなければならない理由がやっとわかりました。
生命誕生は創造です。
国生み神話の神様が日本を生み出されたように、人間も創造する力が備わっている。
そのすばらしい力を、この三次元世界では人前で話すことはタブーとされてしまった。
これはアダムとイブは楽園では裸を恥じる価値観がなかったのに、蛇にそそのかされて禁断の果実を食べてから、恥ずかしいと思うようになったという逸話と同じ。
そして、現代は性の価値観は失墜し、結婚の破たんを招くエゴの拡大が人々を恋に狂わせ、愛することに背を向けてしまった。
愛は与えるもの。愛してほしいではなく、愛させていただくもの。
それは宇宙に偏在するしくみのひとつ「愛というサポートシステム」。
愛とはサポートさせていただく。ということ。
進化するうえで重要な学びの一つなのです。
この三次元で肉体を与えられているうちに学ぶことは「愛」です。人間は、家族という最も小さな集合体で無償の愛を学ぶために人間をやっているのです。
人間は家族をもって、愛を体験して学ぶ。エゴの惑星での基本中の基本の学び。
この惑星の指導者として転生してきた方は、独身で役割をされる場合がありますが、たいていの人間は、家族をもって愛を学ぶ場を与えられています。
小説を創作するうえで、愛をいかに表現するかをずっと考えてきました。
HPで創作した小説にはエゴの要素はありません。リュウさんと春麗ちゃんにはエゴがないんです。
ゼネストでリュウさんはベガ様を「やっつける」のではなく、光で包み込みました。春麗ちゃんとリーフェンちゃんも光の波動拳で守ってあげました。これは「愛」です。
春麗ちゃんもまた、女性キャラのなかで唯一、母性愛を持たされていました。
そんなふたりを二次創作として書かせていただいています。
新作の小説をアップしました。18禁です。ⅠとⅡの二本立てです。
★こんな異端なサイトですが、愛ある皆様にご一読いただければ感謝です。
すべてはエロにはじまりエロに終わる その3
その2のつづきだよ。
すべてはエロにはじまりエロに終わる その2 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
さて、直観で「18禁小説」を書いたわけですが、執筆中のエピソードを書いてみたいと思います。
18禁小説 レベル9まで進んだ方へ - ストリートファイター リュウと春麗の小説たち
直観で書いていると、様々なヒントをインスピで受け取ります。
はっきり言って、今この時点で「なんで18禁?」と思ったのですが、まあ、どんなふうになるのか興味もあったことだし、パソコンに向かいました。
ボーッとしながら書いていると、なぜか「除夜の鐘」が浮かんできて、ゴールデンウイークだというのに何で? と思いました。
除夜の鐘は「鐘」と「棒」だな~。
「鐘」を「棒」で衝く。欲望の数だけ衝く。108回も。お坊さんが。
こりゃあ、禁欲しているお坊さんが子宮を衝いているわけだね。
衝いて「音」にして響かせる。
すべての根源は「音」であり、波動。
生命の創造を現象化して自然界に響かせている。
なるほど~。と思いながら、再びボーッとしていると次に浮かんできたのは、
「くにうみ」というキーワード。
なぜか、国生み国生み国生み・・・。とあまりに連呼するので、国生みといえば、国生み神話だろうと思い、ウィキペディアで調べてみた。
イザナギ(男)「あなたの身体は、どのようにできていますか」
イザナミ(女)「私の身体には、成長して、成長していないところ(女陰のことを示す)が1ヶ所あります」
イザナギ(男)「私の体には、成長して、成長し過ぎたところ(男根のことを示す)が1ヶ所あります。そこで、この私の成長し過ぎたところであなたの成長していないところを刺して塞いで、国土を生みたいと思います。生むのはどうですか。」
イザナミ(女)「それはよいことでしょう」
以上ウィキペディアより引用。
まんまセックスですな~(笑)
この描写を書きなさいってことで、書かせていただきましたよ。
何で18禁(=生命誕生のストーリー)を書くことになったのだろうと不思議でならなかったんです。
それで、高天原の神様とかが国産み神話に出てくるので、「高天原か~」と思っていたんです。
そしたらなんと、ついこのあいだの土日に、高天原の山を一望できる九州に行くことになり、実際に高天原を見てきました。
実は、高天原に行くということは、事前に知らされていなかったんです。
だからビックリ!
なんたるシンクロ!!
エロスの神は高天原の神様だったのかもしれません。
余談ですが、旅行に行く際、なぜか「桃の種を持っていこう」と直観し、去年干しておいた桃の種を持っていきました。桃の種は「魔除け」だといわれて保存しておいたんです。
先日も、邪馬台国についての特集で、卑弥呼も「桃の種」を大量に保存していたということを言っていました。
国生み神話には続きがあって、黄泉の国での話があります。そこに桃の実が出てくるんですね。何という偶然でしょうね~。普通、桃の種なんか持っていきませんからね。
何はともあれ、神様は守ってくださったのだな~と感謝しておりました。
実は、18禁を書くにあたって、洗礼を受けたのです。
エロの世界は様々なジャンルがあり、やはり女子としては直視しづらい面もありました。しかし、「そのような偏見をすべて取っ払わなければならない」という直観がありまして、意識変換することが必要だったのだとわかりました。
実は、高天原見学旅行(仮名)から帰宅してから、18禁小説第二弾(続編)を書いたのです。
リュウさんと春麗ちゃんの二人の関係を反転する必要があると直観していて、このことは
すべてはエロにはじまり、エロに終わる。 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
に書いた通り、「春麗ちゃん⇒リュウさん」から「リュウさん⇒春麗ちゃん」の関係にしなきゃいけないと感じていたんです。
国生み神話でも同じでした。
「イザナミ(女)⇒イザナギ(男)」では、女から男を誘ったら、子どもが流れてしまいました。そこで、
「イザナギ(男)⇒イザナミ(女)」というふうに、男から女を誘えば国生みはうまくいったと神話には書いてありました。
その真なる意味は、男性原理(潜象界)から女性原理(現象界)の順に物質が顕現化するということなのですが。
高天原見学旅行(仮名)で、愛させていただくということはどういうことなのか。というテーマを与えられ、考えてみました。
小説では、リュウさんは春麗ちゃんのところに会いに行きます。(男⇒女)
春麗ちゃんは、リュウさんが来るのを待っています。そこで彼女はどうするか。
続編はそこをクローズアップして書きました。
第一弾の18禁小説は春麗ちゃん視点。
第二弾は続編でリュウさん視点です。
すべてはエロにはじまり、エロに終わる。 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
すべてはエロにはじまりエロに終わる その2 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
すべてはエロにはじまりエロに終わる その3 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
すべてはエロにはじまりエロに終わる その4 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
すべてはエロにはじまりエロに終わる その5 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
すべてはエロにはじまりエロに終わる その2
この三次元世界は、物質界。
物質に本質が宿ることを許されて存在している。
宇宙から見れば、息をのむほど美しい地球。
けれど実際に降り立ってみれば、なんとそこは、震え立つ強烈なエゴの振動波の世界。
物質が最も価値があり、所有すればするほど富として蓄積され、序列が上がればそれらを支配できるという、1%の支配者層によって構築された、すべてが出来レースのような牢獄の世界。
・・・しかし、真実はそうではない。
この地球上ではことごとく価値観が逆転してしまっているせいで、本質を見ることすら難しい。
この惑星上では、かつて何千ものすばらしい文明があった。しかし、人類はこのことすら記憶を失ってしまった。
現在の文明は、地球をサポートするという本来の役割を放棄してしまい、エゴに基づいた価値観で構築された三次元の現象世界。
虚構で塗り固めたアカデミックな教育のもと、嘘が真実と刷り込まれ、何千年もかけて人類の霊性の退化がピークに達してしまった。
人類は、創造する力を持たされている。これは自由意志という、扱いに注意が必要なツールを持たされて降ろされた、神の力と同様のフォース。
自由意志の取り扱いは、使い方をマスターすれば、すばらしい創造の顕現化が可能な力となるが、エゴ(自我)によって誤用すれば破壊の顕現化となる。
この世界の構築者=支配者は、人類にその使い方を「間違った方法で」教えた。あるいは、創造する力など「ないのだ」と教えた。
つまり、人類は創造の力を封印されたのである。無知ゆえの悲劇はそこからはじまる。
何が自我なのかさえわからず、目隠し、手かせ、足枷のなされた多くの人類たちは、これが「通常装備」なのだとさえ思っている。
創造の力を持たぬ者は、だれ一人いない。
けれどなぜ、自分の人生を思うように生きられないの?
この世界の価値観はことごとくが逆転している。
価値なきものなきものが崇められ、価値あるものはないがしろにされている。
横暴で傲慢な人間が権力をふるい、優しく謙虚な人間はいじめられている。
本当のことは隠され、虚構を教えられている。
創造することが不得手の支配者は、創造することに長けた日本人からことごとくを収奪している。
そしてエロは恥ずかしいものと教えられ、創造の原理であることを隠されてきた。
このことをいったいどれだけの人類が知っているのだろう。
エロは自我を満たす欲望であるとするならば、生まれてくる子供たちは欲望の結果生まれてくる存在であって、恥ずかしい子だというのだろうか。
世間ではエロについて語ることはタブーとされている。
なぜなら、性は隠すべきものであるとされているから。
なぜ?
それは、卑猥で淫靡なものとされているから?
そのような歪曲された性的な欲求が刷り込まれているから?
真実を封印しておきたいからというのが本当のところかもしれない。
たとえば、学校の性教育。あれは性エネルギー封印の術。
肉体レベルの、しかも低次元のまるでコンセントを抜き差ししているだけの物質的価値観を子供のうちに植えつけて、物質的低次元の性の技法を刷り込ませている。
そこに高次元の霊的な結びつきや交流法であるという本質は封印しておこうとする支配者の意図を見抜けるものは、ほぼいない。子どもであればなおさらのこと。
GHQは、日本人の霊的資質をことごとく破壊することをミッションとして創出された。
ゆえに、学校教育においてのミッションは、日本人が二度と立ち上げれないほどコテンパンに貶め、日本人から天才を出さない教育を施すことが最大の目的だった。そして現在もなお強化され続いている。
日教組(GHQ)の本体は、イルミナティである。その本質は悪魔崇拝。
性教育は、人間に備わった創造の性エネルギーを封印し、物質的な肉体同士の「やり方」を子供に見せつけ洗脳しているのである。
人間の本質は霊的存在である。
母親と父親になってくれる人間に霊的次元で誕生の同意を得、三者が同一の学びのテーマを取り決めて、肉体に宿り誕生するという本質を一切教えることはないし、教わることもない。
創造の原理はこの三次元に偏在していることすら、知るものはほとんどいない。
そもそも間違った入れ知恵を子どもの頃に植えつけられている時点で終わっている。
男性方にとくに知っていただきたいのは、AVを教材にしないでということ。
内容もいろいろあるだろうが、AVは基本、洗脳ツールである。
あれでイク女はいない。イクとしたら演技でしかない。
プロの女優さんがあれで本当にイっているのなら、性感帯を開発されているから。
しかし一般女性はそうではない。
肉体レベルの交流法は大切。肉体レベルにも快楽があり、とても大事なこと。
霊的レベルともなれば、肉体レベルを超えた別次元の快楽がある。
エネルギー体の交流は、そこに相手がいなくても可能。
三次元と四次元といった、まさに別次元での交流も可能。
その快感は、肉体の局所的、限定的なものとは比べものにならない。
以前お会いしたことがある、前世が巫女だった女性は、亡くなった主人と霊的なセックスで交流するスキルを持っていた。
彼女は男性と握手するだけで、男性をイかせることができる。
彼女と握手したとある男性は、握手しただけで気絶し、霊的な性的快楽を経験した。
その快感のすごさときたら、すぐに終えてしまう射精の絶頂期など比にならず、すべてのチャクラがくるくる回転していて、気絶している間ずっとその快感が続いていたという。
彼曰く、肉体レベルのしかも下半身だけのセックスに膨大なエネルギーを費やしてきた年月と性の価値観の喪失感はすさまじいものがあったと語る。
人類はほとんどの能力を封印されていて、性的快楽でさえも封印されているにもかかわらず、膨大なエネルギーを支配者に注ぎ込まされている。
すなわち、性欲がお金というエネルギーに変換されて搾取されているというのが現実なのである。
ゆがんだ性的価値観は、あらゆるメディアに気づかないレベルで刻印し、発信されていて、ほとんどの人はそれを見破れずに、潜在意識に刷り込まれてゆく。
ゆがんだ性的嗜好を子供番組に刷り込ませているのを見破った際には、吐き気さえ催した。しかしそれが世に蔓延しているのが現実。
悪魔崇拝者のセックスは倒錯している。これ以上のことは書く気にもならないが。
要するに、この世界は人類の創造の源である性エネルギーが誤用され、倒錯しているがために、ことごとくの価値観が逆転しているのである。
では何が本当なのか?
たとえば上古代の中国の神話には人頭蛇身の伏犠(ふっき)と女媧(じょか)が人類を創造したとされている。
彼らの姿はこのように、相互のチャクラの交流こそがセックスであると示されている。
要するに、エネルギー体の交流が本当なのであって、射精してフィニッシュというのは、本当のセックスではないということなのだ。
それは支配者が人類に対して「射精させて無駄に生命エネルギーを消耗させていさえすれば、人類に創造のエネルギーを奪うことができ、支配者の構築した世界を維持することができる」という意図が見えてくる。
彼ら支配者たちは、人類にとって地獄のような世界こそが天国なのであって、この世界を失いたくないのである。
人類はまんまと彼らの意図に引っかかっており、射精こそセックスと思い込まされて、男性は涙ぐましい努力と引き換えに、寿命を縮めているということを知っておく必要がある。
だから、男性には本当のことを知ることにより、自信を取り戻すこともできるのである。
長々と書いたが、人類に隠されたセックスの真実を知るためには、「老子」に隠されたタオ・コードを解読するとよい。
「老子」は宇宙観の本質を書いている。しかしそれは「表」の意味である。
タオ(道)コードは、性エネルギーの運用法が暗号化されていて、これが「裏」の意味であり、真実なのである。
歴史を振り返れば、真実を書いた書物はことごとく焚書されてきたがために、老子の子孫たちは、真実の意味を暗号化して後世に伝えてきた。
この一冊は必読の書である。
タオ・コード―老子の暗号が語り出す 性の五次元領域から迸る秘密の力 (5次元文庫)
- 作者: 千賀一生
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 2009/02/11
- メディア: 文庫
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次回に続く。
すべてはエロにはじまり、エロに終わる。 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
すべてはエロにはじまりエロに終わる その2 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
すべてはエロにはじまりエロに終わる その3 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
すべてはエロにはじまりエロに終わる その4 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
すべてはエロにはじまりエロに終わる その5 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
★18禁小説を書いたことにより、性に隠された秘密を明かす必要があると思い記事に書きました。
リュウさんは恋なんてしないのだ!
リュウさんは、恋するタイプじゃない。
恋されることはあったとしても。
リュウさんは恋されたとしても、振り向くタイプじゃない。
彼は恋に鈍感なのではなく、そもそも恋という概念がないから。
人が恋するとどうなるか?
自分を捧げ、恋した相手を崇めてしまう。
主体が自分ではなく、相手が主体になってしまう。
恋に身をやつし、盲目になり、落ちて、燃え上がり、そして身を焦がす。
恋すなわち、熱病のごとし。
冷めたら「あのときの自分は自分じゃなかった」と振り返るのが通常。
恋すると周りが見えなくなり、自分を見失い、自己を転落させ、燃え尽きる。
それは自己愛無きゆえに起きる現象。
自己愛強き者は、恋などしない。
なぜなら自己愛強き者は、エネルギーが満ち足りているから。
ゆえに愛してほしい、振り向いてほしい、奪いたい、という概念がないのである。
自己愛強き者は、自分を大切にする。ゆえに、他者をも大切にする。
自己愛強き者は、自分を尊重する。ゆえに他者をも尊重する。
自己愛強き者は、だれかの意見やマスコミの言いなりにはなることはない。
なぜなら自分の感性や頭や肚で考えるから。
自己愛は想念の起点軸。
エネルギーを集める渦の中心点。ゆえに自己中心的となる。
自己中心的とは、傍若無人の暴君とは違う。他者をも認める受容性があるから。
自己愛強き者は応援のエネルギーを集めることができる。
それは、他者からエネルギーを奪う恋とは全く反対の原理。
嫉妬、批判、ジャッジ、被害者意識は、自己愛無きゆえに起きる自我意識。
「奪う」意識が根底にある。
駆け引き、出し抜き、蹴落とし、滅ぼすのは恋。
恋に落ちたがゆえに現象化されるのが、浮気や不倫という「奪う」行為。
恋の正体は妬嫉心。
なぜなら、自分に愛がないから。相手からエネルギーを奪おうとするのが恋の実態。
恋と愛はかくも別物なのである。
しかし世間は自己愛強き者を認めない。
ナルシストと意味をはき違えて叩いている。
自己愛強き者を認めれば、世間の常識にあてはめることができなくなるから。
自己愛強き者は、世間体、概念、常識よりも、自分の思いを大切にする。
自分の魂の求めること、大好きなこと、興味の尽きないこと、得意なことをとことん追求することが自己愛の為せる業であり、魂の役割。
それをとことん肉体次元で実践するために生まれてきた。それは社会貢献に直結する。
リュウさんがここまで偉大な存在になりえたのは、自己愛の塊であったから。自己愛の塊であるがゆえに、格ゲー界の中心の渦となり日本人の代名詞となりえた。
彼は恋などしないのである。
しかし、彼には愛がある。
なぜなら、自己愛の塊だから。
「いい試合だったな。また俺と戦ってくれ」
このセリフには愛がある。
謙虚に相手を認め、尊重し、敬意を素直に表しているから。愛があるから言える言葉。
彼は寝ても覚めても真の強さとは何かを追究し続ける魂の持ち主。
彼には財や名誉、ハニートラップさえ引っかからないほどの強き思いがある。
彼の魂が求めるのはそんなちゃっちいものと同等ではないから。
そんな彼が、完成へと近づくために何が必要なのかを探求すれば、
自分一人では為せないことに気づくはず。
その道のりを筆者の独断と偏見に基づいて書いています。
リュウさんを描写するにはあまりにも奥が深くて、その境地を自ら体現しなければ、書ききれないと思う今日この頃なのであります。
★おこがましくも、HPにアップさせていただいております。<(_ _)>
すべてはエロにはじまり、エロに終わる。
黄金週間に、突如18金小説を書くことになり、
4日間ほどで書き上げたわけですが、(HPに載せてます)
書いていて、あの超難しいキャラだったリュウさんのキャラがやっと立ったような気がします。
ご周知のとおり、彼、本当に扱いにくいキャラなんです。
そもそも格闘家。それでいて求道者。
リュウさんが渇望しているのは、この相反する形なき答え。
要するに暴力的なことをしながら求道してるわけで。
いのちのやり取りをしながら、真理を追究しているの図。
わかりやすく言えば、サムライ。
だから初期設定からして、人間性はかなり高め。
それでいて、春麗ちゃんとくっつかなきゃあ、一人前になれないのだから、
どうやってくっつけたらよいものか。これが問題だったわけで。
で、書いたラブラブ小説。
書きながら、そういうことか! と腑に落ちた。
の方があつかいやすかった。というよりも、それしか手出しできなかった。
しかし、これをどうにか関係を反転させられないかと思案していた矢先。
18金小説を書くことになり、書いてみたらなんとまあ!!
ひっくりかえっちゃったよ!?
いのちのやり取り(破壊)をしてきた彼が、
いのちを生み出す(創造)という行為をする!!
・・・これ、慧眼だわ!!
ウワ~、目覚めさせちゃったよ!?
目標を定めたら一直線のリュウさんだよ!?
こりゃあ、大変だあ!!
なんか、面白くなってきたよ??
いままで倦怠期が長すぎたのもあって、あきらめムードだったけど
いよいよいい感じになってきたかも!?
18金とはいうけれど、なにも恥ずべきこともなく、隠すこともない。
それがなけりゃあ、誰も生まれてこれないんだから。
らぶらぶバンザイ\(^o^)/
宇宙はエロにはじまり、エロに終わる。
久々に小説を書いてみて、楽しいと思ったよ。
リュウさんと春麗ちゃんには、堂々といちゃいちゃしていただきたい。
そうすることにより、うれしたのしい、うきうきドキドキのハッピーなエネルギーが生まれるという、素晴らしき作用があるという特典つきなのです。
すべてはエロにはじまり、エロに終わる。 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
すべてはエロにはじまりエロに終わる その2 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
すべてはエロにはじまりエロに終わる その3 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
すべてはエロにはじまりエロに終わる その4 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
すべてはエロにはじまりエロに終わる その5 - リュウと春麗の萌え日記 (そま)
★この二人のイチャイチャは、何回見ても飽きないんだな~。