リュウと春麗の萌え日記   (そま)

リュウと春麗の萌え日記

言語化できない感覚を言語化してみましたが、やはり自ら気づくことがいちばんだと気づいたこと。

みなさんは、あのときのふっとよぎった何かとか、

 

あのとき、なぜか気になって仕方ないけれどもスルーしたこととか、

 

あのときの、スルーしてしまったふと気になったことが、

 

いまさらになって「アッ!」と、

 

点と点がつながってしまったことってありませんか?

 

そのときそのときの気になったあのことのそれぞれは、

 

時間も場所もまったくばらばらだったというのに、

 

突然時間と空間をすっ飛ばして

 

今現在の自分自身に集約して帰結してしまったという体験です。

 

それぞれは、まったく別のカテゴリーに属していて、

 

それぞれの時間軸も、10年単位で違っていたりして、

 

それぞれがまったく無関係であるにもかかわらず、

 

瞬時にすべてが理屈を超えて「そうだったのか!」

 

とわかってしまう。

 

そういう体験は誰にでもあると思います。

 

それを、他者に説明したくても、

 

それぞれがまったく別個で関係性がないうえに、

 

それぞれがあまりにも連続性のない時間軸だから、

 

うまく説明することができない。

 

けれども、理屈を超えてわかってしまったという、

 

自分にしかわからない感覚。

 

たぶん、他者に一生懸命説明してみたところで、

 

無駄骨に終わってしまうだろうこと。

 

あのとき感じた、

 

「ふっ」と気になった何でもないことが、

 

今でも忘れずに覚えていたこと自体が、

 

きっと理由があったのだろうと

 

わかってから気づく。

 

こういうことは、よくアニメやCGとかに映像化される手法のひとつで、

 

様々な体験のシーンが瞬く間に主人公の脳裏に一気に集約されて

 

「あーーッ!!!」

 

と驚きの声をあげて瞬時にわかるという表現に代表される「あれ」です。

 

 

誰でも一度はそういう感覚を体験されたことはあると思います。

  

このブログの裏サイトHPでもその体験の一部を書き綴ってはいますが、

 

まだ解き明かされていない情報が

 

これまでの体験から零れ落ちてしまっていることはわかっていました。

 

その零れ落ちた情報というのは、

 

自分自身の周波数が低かったために、

 

同調することができなかっただけで、

 

そのときは見えなかった、わからなかっただけだった。

 

ということです。

 

なんと表現したらいいのかわかりませんが、

 

それは記憶があってはじめて思い出されるわけで、

 

記憶というのは、

 

体験のすべてを一応どこかの引き出しにしまっておいて、

 

必要な時に引き出されるようになっている。 

 

不必要なのにすべてを覚えていたら、

 

日常生活に支障をきたしてしまうかもしれない。

 

だからほとんどの体験は、

 

顕在意識レベルで忘れるようにできている。

 

忘れるという機能はとても重要だったことに気づかされます。

 

ところで、体験した場所も時間もことごとくが異なるというのに、

 

つながってしまうというのは理由があるようです。

 

そもそも、この惑星のいまの文明では、

 

時間と空間を切り離してしまったために

 

いまだ自在に時空間移動(テレポーテーション)ができないそうです。

 

本来、時間というのはないのが宇宙のしくみだそうで、

 

過去現在未来は時系列に存在しないのだそうです。

 

そして、次元というのも幾重にも折り重なっていて、

 

3次元以上の次元は周波数が高いために、

 

五感では認識できないしくみになっているようです。

 

要するに、自分が体験した記憶は

 

多次元の時空間に折りたたまれるようにしまいこまれていて、

 

意識の周波数変換を起こした場合に

 

同調してわかるというようにできているのではないか?

 

と思うのです。

 

そこにいままで認識できなかった、

 

形而上的な存在、

 

つまり、神的存在がその裏に「いた」ことが明らかになる。

 

おそらく、不必要な記憶情報はつねに隠されていて、

 

必要な時に引っ張り出せるよう、

 

コーディネイト役として

 

守護霊さんとかの

 

人間に最も近いサポート役を担っておられるご存在が

 

介入されるのではないか。

 

人と神は周波数があまりにも違いすぎて

 

普通は認識できないけれども、

 

コーディネイト役の守護霊さんたちが

 

必要に応じて、

 

高次元のご存在とつなげてくださるのかもしれない。

 

 

逆に、憑依される現象は、

 

低次元の周波数を発していたら魔物と同調してしまい、

 

肉体を乗っ取られてしまうということです。

 

「自分を変えれば周りが変わる」

 

というのは、周波数変換により、

 

高くも低くも周波数を変換させることができるのだから、

 

現状を変えたいならば、

 

今の自分自身を変えるしか方法がなく、

 

自分自身を変えるというのは、

 

ダイエットして解決するような見た目ではなくて

 

「思い」・「ありかた」を変えるということです。

 

それは、お金持ちでも心がいつも不安で寂しい人と、

 

お金がなくても、いつも感謝に満たされている人との違いです。

 

 

おととい、あることに気づいて、

 

昨日、ある場所に(たまたま通ったので)行ってきたのですが、

 

ある気づきがあって、こんな記事を書きました。

 

まだ言語化することはできません。

 

とにかく意識変換がいかに重要であるかをお伝えしたいです。

 

自分に起きる体験、

 

五感で感じられるレベルの感覚(それ以上の感覚)を

 

どのように受け止めるのか。

 

それを謙虚に受け入れて感謝してゆく。

 

それが周波数変換です。

 

見せられる事象、体験せざるを得ないつらいことも

 

必要だから与えられているのであって、

 

そこに人間の感情であーだこーだ不服を言うのではなく

 

体験させていただいたことを受け容れて、感謝する。

 

そうすれば、もう、その体験をする必要がなくなる。

 

その連続を意識的に行えば

 

おのずと不調和な体験をすることがなくなり、

 

大難を小難にすることができる。

 

これは個人レベルで可能な実践です。

 

そして自分しかできないことです。

 

自分の人生を他人が代わって生きることができないということです。

 

 

何が言いたいのかよくわからない記事になってしまいましたが、

 

ブログに記させていただきました。

 

要するに、

 

直観を得るためには、

 

自我を発せずに

 

つねに周波数変換をしておく必要がある。

 

ということです。

 

筆者もまだまだですが、

 

瞬間瞬間に発した波動はすべて宇宙に記録されているので、

 

ごまかしはきかないということです。

 

これが「お天道様は見ていらっしゃる」ということです。

 

 

こういうことは、文字であらわした知識よりも、

 

ご先祖様から学ばせていただくのがよろしいかと思います。

 

江戸時代は縄文の再来といわれています。

 

明治維新は二度目の縄文文明を葬ったことになるのですね。

 

残念ですけれども、わたしたちの遺伝子は覚えています。

 

あらためてご先祖様に尊敬と感謝のおもいと、

 

ご先祖様に恥じないように生きさせていただかなくてはという思いになりました。

  


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わたしたちは、思い出せばわかる民族です。

 

今は忘れてしまっていて、

 

思い出せないような環境に置かれていますが、

 

記憶喪失のまま人生を終わらせるために今の人生があるのではありません。

 

思い出したら、きっと、人生観が変わる。

 

今日もおめどおしいただき、ありがとうございました。

 

追記:この記事の続きを書きましたryu-chun2.jimdo.com